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すべてのブログから「#親の葛藤」タグの検索結果

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離れても消えないもの ― 見守る愛のかたち ―

廉清生織のブログの部屋へようこそ思春期のお子さんと向き合っていらっしゃるご両親へ 捧げる詩を そっとお届けしますねその手を 離すことは愛をやめることではない守り続けた日々の中であなたはもうたくさんの大切なものを 届けてきた言葉も 背中も迷いながら選んできた時間もちゃんと あの子の中に残っている届いていないように見えても伝わっていないように感じてもそれは消えてしまったわけじゃない今はただ自分で確かめるために少し離れて歩いているだけ転ぶこともある遠回りもするけれどそれを選べる強さもまたあなたが育んできた 大切な宝物だからもう無理に引き戻さなくていい信じるというより委ねるように見守るというより静かに 木の上から見ているようにあなたがあなたのままでいることがきっと いちばんの支えになる大丈夫ちゃんと歩いていくあなたの手を離れたあともあなたのぬくもりは消えたりしないから子どもの成長は 喜びであり戸惑いであり ときとして残酷なほどに現実を突きつけてくるそれは愛のかたちが変わるサインその勇気を子どもが与えてくれているのだと分かっていても母として 父として複雑な想いを抱かずにはいられないものですひとりで悩まず心の苦しみを お話しませんかご両親様の想いと願いを込めて    かけがえのないお名前を       真心を込めてお授けいたします本当は愛されたいのに   なぜか一歩踏み出すのが怖い     そんな想いを抱えていませんか?
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食べられない息子の目の前で、私はご飯を食べなければならなかった

抗がん剤治療は全部で5クール。薬を数日かけて投与し、その後は体が回復するのを待つ──その繰り返しでした。でも、息子は抗がん剤の副作用がとても強く出るタイプでした。髪の毛は抜け、血液が作られなくなり、3日に一度は輸血。口の中は粘膜障害で真っ赤に腫れ上がり、血がにじみ、唾液さえ飲み込めない。吐き気もひどく、たった5ccの薬を経鼻チューブから入れただけでも吐いてしまう。誤嚥性肺炎を防ぐため、水さえ飲めなくなりました。そんな状態が、一か月以上続きます。そして、それを5回も繰り返すんです。そんな息子を目の前にして、一番苦しかったこと。それは、毎日ご飯を食べなければいけないことでした。朝も昼も夜も、自分が生きるために、食べなければなりません。つらそうにしている息子の目の前でもぐもぐとご飯を食べないといけないんです。親として、「こんな情けないことはない」と心の底から思いました。親として何もできないどころか、食べたくても食べられない息子を追い詰めるような行為を、目の前でしないといけないんです。本当に苦しくて、情けなかった。でも、息子は、目の前でもぐもぐと食べる私を見て責めたり、泣き散らしたことは一度もありませんでした。まだしゃべれなかった息子は、「今日は何を食べるの?」って顔をして、私のご飯の匂いをスンスンと嗅いで、それで満足したように、少しだけニコッと笑うんです。その笑顔を見るたび、「なんて心のきれいな子なんだろう」「なんて強い子なんだろう」そう思いました。あの時感じた、苦しさも情けなさも、息子の優しさも強さも、きっと私は、生涯忘れることはありません。もし今、お子さんの病気や障害と向き合いな
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「生きてほしい」その願いが、息子に後遺症を残した

2022年の夏から秋にかけて、私と息子は陽子線治療を受けるため、他県の病院へ二人で転院しました。陽子線治療は、とても効果の高い治療です。でも、その一方で、後遺症が多いのも事実です。息子に生じている、・低身長・疲れやすい体・永久脱毛・白内障・高次脳機能障害・学習障害・知的障害これらは、基本的に陽子線治療の影響によるものです。あの時、後遺症を少しでも軽くするために、放射線の線量を減らすという選択肢もありました。線量を減らせば、後遺症の程度も軽くなります。でも、その代わり、生存率は約10%下がります。息子の病気は、本当に恐ろしい病気で、もし再発したら、命を救うことはできません。もしかしたら、線量を減らしても再発しないかもしれない。長く生きられるかもしれない。息子自身は、重い後遺症を背負ってまで長く生きたいとは思っていないかもしれない。将来、「なんで自分はこうなってしまったんだ」と悲しむ日が来るかもしれない。そんなことを何度も何度も考えました。それでも、私は、息子が存在しない未来は、考えられませんでした。そんな未来は存在してはいけないんです。だから私は、線量の多い治療を選びました。陽子線治療は、数ミリのずれも許されません。照射中は眠る薬を使い、頭全体をプラスチックのマスクで固定します。小さな子どもは、眠る薬を嫌がることも多いそうです。でも、息子は一度も嫌がりませんでした。「今日も頑張ってくるね。」「ぼく、すぐ寝んねするから先生がいつも褒めてくれるよ。」いつも誇らしそうに、息子は話してくれます。でも、私の心の中は、いつもぐちゃぐちゃでした。なぜなら、この治療がどんな未来を引き起こすかを、
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応援団長として、息子の自立を見送った日

こんにちは、ほんわかです。 今日は、 障がいのある息子がグループホームを退所し、 ふたり暮らしを始めるまでのことを、 少し書いてみようと思います。 同じように、 子どもの自立に悩んでいる方の、 何かのヒントになればうれしいです。 グループホームでの約3年間 息子は、 グループホームで3年近く生活していました。 洗濯をしたり、 四畳半の自分の部屋を掃除したり、 食後の食器洗いをしたり。 朝は自分で起きて、 起きられないときは起こしてもらうこともあったようです。 一見、 「だいぶできているように見える生活」でした。 でも、実は息子は、 片付けや掃除がとても苦手な子です。 グループホームに入る前から、 そのことは私から職員の方にも伝えていました。 退所のときに見えた現実 退所のとき、 「部屋がとても汚れていて、びっくりしました」 そう言われました。 私が伝えていた苦手さは、 日々の中で、 見過ごされてしまっていたのかもしれません。 できていることもある。 でも、できないことも、やっぱりある。 それが、息子の今の姿なんだと、 あらためて実感した出来事でした。 ふたり暮らしの話を聞いたとき 去年の春頃、息子から「ふたりで暮らしたい」と聞かされました。 正直、 親としては、 迷いも葛藤も、たくさんありました。 でもまず、 光熱費、食費、家賃、生活にかかるお金を、 ふたりのお金で大まかに計算してもらいました。 「やっていけると思う」 そう、 自分たちで考えて決めたところから、 ふたりの準備はスタートしました。 支援の力を借りてのスタート 始まる前には、 支援員の方にも入っていただきました。
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