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でも今日は、少しだけ好きになれそうです

「……傘、ありがとう。返すよ」夕陽に染まった屋上で、それだけを言うのに、ずいぶん勇気がいった。本当は、もっと別の言葉を探していた。「助かった」とか、「ありがとう」とか。だけど、そのどれもが軽く感じて、使えなかった。傘を差し出す僕を見て、彼女は静かに首を横に振った。「今日じゃなくていいよ」「え……?」「まだ“ありがとう”の途中でしょ? あなたも」それは、笑っているのに、なぜか泣き出しそうな顔だった。僕は、何も言えなかった。受け取ってほしいわけじゃない。だけど、終わりにしてしまうのは怖かった。傘を返すことが、すべての区切りになる気がして。沈黙が、夕焼けの色の中にゆっくり沈んでいく。ふと、彼女が空を見上げながら言った。「ねぇ……雨の日って、嫌いだったんだ。 でも――」風が運んだその言葉は、とても小さかったけれど、「でも今日は、少しだけ好きになれそうです」そう、確かに聞こえた。胸が、きゅっとなった。理由なんて、まだわからなかった。でも、誰にも話していないことを、少しだけ見せてくれた気がした。……傘、返さなくていいのかもしれない。まだ、この時間を終わらせなくていいのかもしれない。あの日、僕は初めて知った。傘には、“雨を避ける以上の意味” があるって。
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なんで傘、二本も持ってたの?

翌朝、空は何事もなかったかのように晴れていた。校舎の窓には昨日の雨の跡が残り、乾ききらないまま光を反射している。返さなきゃ――借りた傘を胸に抱えながら、僕は昇降口へ向かった。まだ早い時間。彼女はきっと、もう来ていると思った。いつも、誰より早く教室に入る人だから。だが教室には、誰もいなかった。机の上に、濡れた形跡も、忘れ物も、何もない。僕は傘を机に置こうとしたが、――どうしてもできなかった。なぜだろう。ただの傘なのに。きっと返すだけのはずなのに。昼休み、意を決して屋上へ向かった。静かな風が吹き抜けている。フェンスにもたれ、彼女は空を見ていた。「……傘、ありがとう。返すよ」差し出した傘を見て、彼女は少しだけ首を横に振った。「今日じゃなくていいよ」「でも……昨日、助かったし」「違うの。 まだ“ありがとう”の途中ってだけ」その言葉が、胸の奥で不意に響いた。僕は聞きたくなった。「……昨日、さ。 なんで傘、二本も持ってたの?」彼女は目を細め、空の向こうを見つめた。「言っても、きっと笑われるよ」「笑わない」「……ほんとはね。 持って帰れない手紙を、濡らしたくなかっただけ」意味は、まだわからなかった。でも、聞いちゃいけないことだと直感した。だから僕は、ただこう言った。「そっか。 じゃあ、もう少しだけ借りててもいい?」風が止まった。彼女は驚いたように、そして少しだけ、嬉しそうに笑った。
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