私の過去③生と死の中で見つけた「生きる意味」の答え
前回のブログでは、心の闇を抱えながらも、亡き母と祖母が遺してくれたお金を学費にして、看護学校へ挑戦することを決意したところまでをお話ししました。遠回りしたからこそ、ついていけた看護学校もともと勉強は大の苦手だった私。「社会人になってから、看護学校の厳しい勉強についていけるだろうか…」という不安は当然ありました。でも、いざ始まってみると、思わぬ強みを発揮できたのです。実は、先に通っていた鍼灸の専門学校で、体の仕組みである解剖生理学や、病気の成り立ちなどを学んでいました。そのおかげで、看護学校の授業が驚くほどスムーズに頭に入ってきたのです。もし高校を卒業して現役のまま看護学校に行っていたら、私は間違いなく勉強についていけず、挫折していたと思います。人生の遠回りだと思っていた「鍼灸師への道」が、ここで大きな武器になって私を助けてくれました。また、学校には私と同じように「社会人入試」で入ってきた同世代や、様々なバックグラウンドを持つ仲間がたくさんいました。その存在も、本当に心強かったです。その後無事に国家試験に合格し、私は念願の看護師になりました。お金の不安は消え、デイサービスで憧れた先輩を目指して働くことができました。そして何より、看護師になった一番の目的。「人の『生』と『死』に一番近い場所にいれば、生きる意味の答えが見つかるかもしれない」その答えを求めて、私は毎日、患者さんと向き合い続けました。看護師になればゴール、ではなかった患者さんと接する中で、私はずっと「生きるとは何か」を考え続けました。しかし、どれだけ現場を経験しても、「これが生きる意味の正解だ」という明確な答えがどこかに
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