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第3話「友人との再会は、祈りの媒介だった」

ある日、3年ぶりに友人と会うことになった。不思議なことに、予定を立てたときは、私が ‘‘祈りの儀式’’ を行うことなど、何も決まっていなかった。けれど、なぜか自然と「祈りの儀式直後」の日に、その再会の日程が定まっていた。いま振り返れば・・あれは偶然ではなく、祈りが呼び寄せた ‘‘交差’’ だったのだと思う。友人と訪れたのは、宗像大社と大島。日本でも有数の ‘‘神と人との交差の構造’’ が体現された場所だ。本土の宗像大社は ‘‘与える’’沖津宮は ‘‘受け取る’’そして、大島の中津宮は、‘‘交わる’’ という第三の主観を象徴している。私たちは、そこで祈り、語り合った。薬では治せなかった過去の現場、娘の沈黙に宿る祈り、自分自身の ‘‘語れなかった痛み’’ について。私が語ると、友人も語り始めた。かつては語らなかった想い。家族のこと、体のこと、夢と挫折のこと。それは、懐かしさを越えて、互いの中にあった ‘‘祈り’’ が交差しはじめた感覚だった。気づけば私は、友人の祈りを媒介していた。何かを癒すでも、導くでもない。ただ、「あなたの中にも祈りがある」と信じて話を聴いていた。そして、こう感じた。『祈りとは、誰かの中にある ‘‘語られていない願い’’ に、自分の主観を重ねて しまうこと。そして、交差が起きてしまうこと』「祈りを媒介する」とは、‘‘相手の痛みをわかる’’ことではない。‘‘交差してしまう構造’’ の中に自分を差し出すことだ。この再会は、まさにその ‘‘はじまり’’ だった。私は、自分の過去と交差し、娘との非言語的祈りと交差し、いま、他者の中の祈りと交差しはじめている。そしてそれは
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第3章:神との交差

先日、過去との痛みと向き合い、「祈りの儀式」を自宅で行いました。火と水と植物・・与える・受け取る・交わるという構造を象徴する空間の中で、私は自分の言葉にならなかった想いを、ただ静かに差し出しました。不思議なことに、その直後からスピリチュアルを共に学ぶ友人からの連絡、祈祷師の存在の話、そして3年ぶりの友人との再会と宗像大社への旅が始まりました。偶然ではないと、私は感じています。これは、‘‘祈りが交差を呼び寄せた’’ のだと。私はこの痛みを、交わりの祈りに変えました。この祈りが、まだ現れていない誰かとの創造につながっていくことを、信じています。そして、いま確かに感じているのです。【この祈りは、私だけのものではない。 私と神と、この世界との ‘‘第三の主観’’ として これから誰かと交わっていく祈りです】
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第1話:「娘は ‘‘わたしの祈り’’ ではなかった」

娘が自閉症だと診断されたとき、私はその事実を、すぐには受け入れることができなかった。「なぜ、うちの子が?」「どこで間違えたのか?」「原因は何なんだ?」いろいろな情報を調べるうちに、ワクチンの添加物が発達に影響しているという説にも出会った。私が製薬会社でMRとして働いてきたことを思うと、もしそれが本当なら、なぜ私は ‘‘気づけなかった’’ のか。その瞬間、私は娘の状態を ‘‘自分の罪’’ として背負い込もうとした。「私が与えたものが、娘をこうしたのかもしれない」と。でも、その思いの奥にはもっと深い構造があったと、今は感じている。それは、娘を「私の祈りの結果」として捉えようとしたこと。「何かの意味があるはずだ」「責任をとらねば」そうやって、私は知らず知らずのうちに・・【娘を ‘‘私の物語’’ の中に閉じ込めようとしていた】けれど、娘は違った。彼女は、彼女自身の祈りのかたちを持っていた。私が医療業界を去ったあと、どこにも正解を見つけられずにいた私に‘‘交われなかった構造そのもの’’ を見せてくれた。言葉にならない世界。反応が遅いわけでも、感情が乏しいわけでもない。彼女の祈りは、「世界とどう交わるか」を、最も繊細なかたちで問い直してくる。私はようやく気づき始めている。【娘は、私の祈りではなかった。 彼女自身が、まだ語られていない何かと交差しようとしている。 私はその交差を、祈りとして ‘‘受け取る者’’ でありたい。 そして彼女と共に、‘‘交わらなかった構造を愛に変えていく  ‘‘祈りの媒介者’’ でありたい。】この気づきは、私が「与える主観」として生きてきた過去を、もう一度、神との交
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