vol.29 [熟考]何を持って正論たらしめているか
みなさま、こんにちは。
本日はちょっとシビアながらも
スピリチュアルなお話を
お伝えしたいと思います。
人は皆、自分なりの信念があって
日々生きていたりします。
その信念はどうやって
培ってきたのかというと
それはこの人の歩んできた
歴史の中に由来します。
しかし時に相手と話が通じない時
「正論」を強く主張したくなる
ことがあります。
普通は・・・
一般的に・・・
当たり前のことだ・・・と
このように言葉の端々に
口癖のようにこの単語を
入れ込んでくるかたは
正論を主張してくる
傾向が強いです。
ではその「正論」は
何を持って正論
たらしめているのでしょうか。
ネットで同じ意見の情報があった・・・
周辺の人で同意してくれる人がいた・・・
何れにしても
正論であるという裏付けの
情報を引き寄せて
主張してきます。
それは偏った世界の中での
資本主義的考えの元に
成り立っているに過ぎません。
つまり本当に
理解してもらいたい相手に
受け入れてもらえなかった時点で
それは「正論」ではなくなるのです。
その危うい「正論」を盾にして
強く主張を続ければ
それはすなわち「攻撃」とみなされて
お互いの関係で衝突を引き起こし
相手との関係を崩壊させてしまいます。
「正論」として主張するのではなく
ご自分の信念をどのように
伝えるのかを
考え実行してみてください。
それでも伝わらなければ
それは批判するものではありません。
相手が価値観を
受け入れられないのであれば
それは押し付けるものではないので
ただ関わりから離れるだけなのです。
どういう未来を求めて
相手と関わっているの
0