絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

3 件中 1 - 3 件表示
カバー画像

目立たないところにこそ、本当の応援がある

直接じゃなくても届いている僕は、応援は必ずしも直接である必要はないと思っている。むしろ、間接的な応援のほうが広がりがあるし、自分にできることを見つけやすい。小さなことでも構わない。例えば、誰かが挑戦していることを「知る」だけでも意味がある。寄付一つとっても、お金を出すだけではない。その出来事を他の人に伝えたり、関心を持ったりするだけでも、大きな後押しになる。行動として見えにくいかもしれないが、確実にそこに想いがある。そして、それを「小さなこと」として軽んじないようにしたい。やらないことと比べれば、何だって「良いこと」なのだ。直接的な関わりだけが価値あるものではない。間接的にでも、自分なりに関わろうとする姿勢そのものに意味がある。応援する人より、応援を支える人が多い直接関わる人は目立つ。だから、その人だけが「何かをやっている」ように見えてしまう。けれど実際は、その周りにいる無数の「間接の存在」があって、初めて物事は成り立っている。自分が何かをしている時、どうしても視界は狭くなる。周囲のサポートや、そっと気にかけてくれる存在が目に入らないこともある。でも本当は、目立たないところにこそ、たくさんの力が宿っている。その静かな応援が、ちゃんとあること。それに気づける人でありたいと思う。見えていないものに目を向ける何かをしている人が光を浴びるのは当然かもしれない。だけど、それだけが「良いこと」「素晴らしいこと」ではない。表には出てこない、でも確かに存在している応援がある。そういうものを理解して、ちゃんと評価できる人は、目立つものだけを見ない。静かな場所にある努力や気持ちを、ちゃんと感じ取っ
0
カバー画像

-あなたが思うよりも-

今週も、おつかれさまでした。 頑張っているのに なにも変わらない気がする夜もありますよね。 でも。 見てる人は、ちゃんと見てるよ。 あなたが思っているよりも、静かに。
0
カバー画像

口を出さず、手も出さず。それでも、そばにいる

「それ、今すぐ言いたいけど…待とう」 そんなふうに、自分の中で踏みとどまった経験、ありますか? 例えば、 ・子どもが忘れ物をしても気づかないとき ・同僚のミスに気づいたけど、まだ本人が気づいてないとき ・パートナーが悩んでいそうだけど、話してくれないとき つい、「ああもう、それって…!」と手を出したくなるけれど。 それでもあえて“共同の課題になるまで待つ”という態度には、深い意味があります。 ▼🧐 心理学の視点から見る「待つ力」 心理学者のアドラーは「課題の分離」という考え方を描いています。 これは、「その問題は誰のものか?」を明確にすることで、 おせっかいになりすぎず、相手の育つ力を守る関わり方をするというもの。 たとえば、子どもが宿題をやらない。 それは「子どもの課題」であり、親が代わりに怒ったり、やらせたりしても 本当の意味での“学び”にはなりません。 🔹「待つ」という行為は、相手を信じるというメッセージ。 🔹自分の気持ちをコントロールする、自己調整の力でもあるんです。 ▼「でも、見てるのがつらい…」そんなときの工夫 とはいえ、見ているだけって正直しんどい。 何かしてあげたくなる気持ちは、やさしさの証拠でもあります。 そんなときは、こんな工夫をしてみてください: ■ 心の中で「今は種まきの時期」と唱える → すぐに芽は出なくても、信じて待つ力は相手の力になります ■ できたときに、ちゃんと喜ぶ準備をする → 声をかけるタイミングを「成功後」にするだけで、ぐっと関係が深まります ■ 自分のモヤモヤは、別の場所で消化する → ノートに書く、信頼できる人に話すなど、「見守る人の
0
3 件中 1 - 3