直接じゃなくても届いている
僕は、応援は必ずしも直接である必要はないと思っている。
むしろ、間接的な応援のほうが広がりがあるし、自分にできることを見つけやすい。
小さなことでも構わない。例えば、誰かが挑戦していることを「知る」だけでも意味がある。
寄付一つとっても、お金を出すだけではない。
その出来事を他の人に伝えたり、関心を持ったりするだけでも、大きな後押しになる。
行動として見えにくいかもしれないが、確実にそこに想いがある。
そして、それを「小さなこと」として軽んじないようにしたい。
やらないことと比べれば、何だって「良いこと」なのだ。
直接的な関わりだけが価値あるものではない。
間接的にでも、自分なりに関わろうとする姿勢そのものに意味がある。
応援する人より、応援を支える人が多い
直接関わる人は目立つ。
だから、その人だけが「何かをやっている」ように見えてしまう。
けれど実際は、その周りにいる無数の「間接の存在」があって、初めて物事は成り立っている。
自分が何かをしている時、どうしても視界は狭くなる。
周囲のサポートや、そっと気にかけてくれる存在が目に入らないこともある。
でも本当は、目立たないところにこそ、たくさんの力が宿っている。
その静かな応援が、ちゃんとあること。
それに気づける人でありたいと思う。
見えていないものに目を向ける
何かをしている人が光を浴びるのは当然かもしれない。
だけど、それだけが「良いこと」「素晴らしいこと」ではない。
表には出てこない、でも確かに存在している応援がある。
そういうものを理解して、ちゃんと評価できる人は、目立つものだけを見ない。
静かな場所にある努力や気持ちを、ちゃんと感じ取っている。
僕は、そうした「見えないけれど確かな応援」がもっと尊重される世の中になってほしいと思っている。
そして、自分自身もそんな応援を、これからも続けていきたい。