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本当の「思いやり」って?

今日は、わたしも学び中の「本当の思いやり」について書いていこうと思います。みなさんが思う「思いやり」ってどんなイメージでしょうか。・高齢者の方に席を譲ること?・相手の気持ちを考えて行動すること?・相手の立場に立って共感し寄り添う?・体調を気遣ったり、お祝いの言葉をかけたりすること?・自分を後回しにしてでも相手に優しくすること?これらは一般的に「やさしい」「思いやり」だと言われていることかな~。素晴らしい行動だな。表現だな。と思う反面・・・私の中では少しネガティブな感覚の「遠慮」「自己犠牲」が入ってるなと感じるたとえば・・・□自分が風邪でつらい時にも、旦那さんや子どもにごはんをつくってあげたり。□会社のミーティングで、自分の仕事がたくさんあるのに他の人の意見や主張で日程を決めるのを承諾したり。□チームで文句や愚痴を言う人に寄り添って話を聞いてあげたり。これも「思いやり」の一部なのかもしれません。「やさしさ」とも言えるかも。でも、感情的な共感や、助ける・譲る・合わせるといったやり方は自分への「思いやり」が果たしてあるのかどうか・・・わたし疑問を持ってしまうのです。では、本当の「思いやり」ってどんなものなんでしょう。「理想の」?・・・というか「真実の」「純粋な」思いやり。思いやった方も、思いやられた方もあったかい気持ちになるのが本当の「思いやり」なのかな~と。だから、それは他者を信頼していて、干渉しすぎず、見放さない静かな在り方のことだとわたしは思います。そして、心配やコントロールではなく、自由意志と成長の理解と受容を深く知っていることが、それを体現でき、表現でき、施行されるものなの
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人の優しさに触れたとき、心は自然にほどけていく

ariosuヒーリングセンターのありおすです。今朝、あるドラマを観ていて、胸に残る場面がありました。誰かの優しさに触れた時、感じた事をそのまま受け取れる人ほど、表面にまとっていた頑なさが、少しずつ取れていくそんな描写でした。人はそれぞれ、理由があって心を守っています。強がっていたり、距離を取っていたり、冷静を装っていたり。それは弱さではなく、これまで生きてくる中で自然に身についた「殻」のようなものなのかもしれません。けれど、計算のない優しさや、見返りを求めない眼差しに触れた瞬間、その「殻」は、無理に壊される事なく、内側からゆるんでいきます。「守らなくても大丈夫かもしれない」そんな感覚が、心に静かに広がるからです。感じた事を、そのまま受け取れるという事は、何でもすぐに受け入れるという意味ではなく、自分の内側で起きた反応を否定しない、という事なのだと思います。だからこそ、優しさに触れた時、抵抗せずに、その温度がそのまま届く。結果として表面のかたさが、自然に取れていくのかもしれません。優しさは、相手を変えようとしません。何かを教えたり、正したり、癒そうとしなくても、ただ「そこに在る」だけで、十分に伝わることがあります。今朝のドラマを観ながら、人が本当にほどけていく瞬間というのは、何かをされる時ではなく、「安心してそのままでいられる」と感じた時なのだと、改めて感じました。
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静かな呼吸の中に、本当のあなたがいる。

ふっと、深呼吸をしてみる。忙しさに追われて、いつの間にか浅くなっていた呼吸。それに気づいて、そっと息を吐き出すだけで心に、少しだけ「すき間」が生まれます。そのすき間には、焦りも、期待も、評価も、全部一度、置いていい場所がある。ただ息をして、ただ在る。それだけで、本当は十分。あなたの存在には、もともと価値があるから。呼吸は、“目に見えない愛の循環”実は、呼吸は「受け取る」ことから始まるのではなく“手放すこと”から始まります。息を吐くからこそ、新しい空気を吸える。手放すからこそ、受け取れる。これは、まるで愛と同じ。出すから、また与えられる。だから疲れてしまったときは、「がんばらなきゃ」じゃなくて、「手放してみよう」って思ってみてください。あなたの呼吸は、あなたの存在を祝福しているゆっくりとした呼吸には、自律神経を整える力があります。でも、それだけではありません。スピリチュアルな視点で言えば、呼吸は、宇宙とあなたをつなぐ“光のコード”。意識的に呼吸を感じるたび、あなたの魂と、肉体がぴたりと調和する。そうやって、今ここに「在る」ことの神聖さを思い出させてくれるのです。今日のあなたに贈りたい、ひとこと静かな呼吸が、あなたの存在を祝福している。ただ息をして、ただ在ればいい。言葉にならない気持ちがあるとき、感情がぐるぐるしてしまうとき、どうか、深く優しい呼吸を思い出してみてください。そしてそっと、自分に声をかけてあげてください。「私はここにいる。それだけで、ちゃんと生きてるよ」って。📩 感じたことがあれば、ぜひコメントやメッセージで教えてくださいね。あなたの心が、今日も少しでも穏やかでありま
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深夜の散歩と静けさの本質

わたしはよく深夜に散歩をするんです。周囲に光が少なく、田舎なので天気が良いと星もよく見えます。その静けさの中で、一人でふらふらと歩いていると、まるで世界が止まったかのような感覚に包まれます。 その時、わたしはいつも 「止まることを知れば、もう危険はない」 と感じるのです。 社会、というものが日中わたしたちに与える欲望や刺激、絶え間ない競争。 それらに振り回されるのは本当に疲れることです(振り回されていることにすら気づいていない人も多くいます)。 でも、夜の静けさの中で自らの足音を聞きながら歩いていると、欲望を燃え上がらせる必要はないんだと知ることができます。 欲望をどこで止めるか、を知っていれば、社会の喧騒から解放されます。 昼間、わたしたちは常に動いて、なにかを求め続けなければならないようなプレッシャーを感じるようになっています(それの大元は社会の教育であったり、貨幣経済であったり、我良しで動くエゴであったりといろいろですが)。 社会の中で求められることや、他人の期待に応えようとするあまり、自分を見失うのです。 この地球では見失っている方が多すぎて迷子センターは年中無休で大忙しでしょう(笑) 冗談はさておき。 静けさの中でそれらを一度止めることで、心の中の本当の声に耳を傾けることができます。それが、心の永遠の平穏と本質につながる瞬間です。 深夜の散歩は、まさに一種の瞑想の時間です。 深夜の静けさを知っていると、社会で求められているものや、そもそも社会そのものが実は大したものではないと気付くのです。 室内の明かりに照らされていると、こうした感覚には気づきにくいのかもしれません。
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