「何がしたい?」に答えられなかったのは、自由より先に責任を考えていたから
「何の制約もなかったら、本当は何がしたい?」接骨院の先生からそう聞かれたとき、私は答えられませんでした。私は40代の技術系管理職です。当時の平日は、30分刻みのオンライン会議や部下からの相談で埋まっていました。組織の未来を考える時間を確保していても、相談を受ければ予定を空ける。その仕事は夜や週末へ回り、後回しになるのはいつも私生活の時間でした。望みより先に、現実を考えていた私の時間には、現場を回す仕事、組織の未来を考える仕事、家族と過ごすことを含む私生活の時間がありました。けれど、私の中ではいつも「権利の前に義務」がありました。仕事、お金、家族、人間関係。まず責任を果たし、その後に自分の自由がある。だから「何がしたい?」と聞かれても、自分の望みより先に、「実現できるのか」「そんなことを望んでよいのか」「今ある責任をどうするのか」を考えていたのです。制約を外したときに浮かんだもの先生は「本当にないの?」「何でもいいよ」と何度も問いかけました。実現できるかどうかは、いま考えなくていい。そう受け取ったとき、頭に南国のような景色が浮かびました。実在する場所を選ぶと、文化や暮らし、実際に行けるかどうかを考えてしまいます。そこで場所を特定するのをやめると、海の真ん中に浮かぶ、名前のない島が現れました。その景色を先生に話すと、先生は安心したような笑顔で言いました。「なんだ、あるじゃん」自分で決めた予定も、大切にしていい私が欲しかったのは、島そのものではありませんでした。予定や役割から一時的に離れ、何をするかを自分で選べること。自分で確保した時間を、簡単には後回しにしなくていいこと。そして、自
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