少年の向こう側
天草四郎時貞。歴史の教科書を開いたことがあれば、誰もが一度はその名前を耳にしたことがあるはずです。「島原の乱」を率いた、若き天才指導者あるいは、数々の奇跡を起こしたという神童です。歴史は彼を、そんなドラマチックな言葉で語り継いできました。けれど彼という存在を俯瞰して眺めたとき、どうしても教科書とは違う歪(いびつ)な景色も同時に見てしまいます。天草四郎は本当に自らの強い意志で人々を導いたのでしょうか。それとも、生きるか死ぬかの極限状態に置かれた民衆たちが、彼を「導き手」に仕立て上げざるを得なかったのでしょうか。一度歴史のフィルターを外して、「十代半ばの、ただの少年」だったという事実に立ち返ってみてください。自分の人生の行く末すらまともに地続きで想像できないような、あどけなさの残る年齢です。大人の群衆はこの一人の少年の背中に文字通り「命」を重ねました。自分たちのすべての未来を肩へ乗せたのです。純粋で美しい信仰などという綺麗なものだけではなかったでしょう。明日をも知れぬ飢えへの恐怖や支配者への煮えくり返るような怒り。民衆の狂い咲きの中でどうしようもないという底なしの絶望の上に立つこと。そうした、人間の一番ドロドロとした感情の行き場として、彼は選ばれてしまった。私たちは自分たちの力ではどうにもできないほど追い詰められたとき、誰かを神格化し、その者にすべての責任を押し付けようとする生き物かもしれません。天草四郎もまたその凄惨なメカニズムの渦中に放り込まれた一人だったのではないでしょうか。彼自身に人を惹きつける天性の魅力や、何かしらの輝きはあったのでしょう。歴史の記録をめくればめくるほど、
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