診断名より、大切だったもの
たくさん調べて、
たくさん読んで、
それでも最後まで、
はっきりした答えは出ませんでした。
相手は何だったのか。
名前をつけるなら、何に当てはまるのか。
でも、
あるとき気づいたんです。
それを決めること自体が、
もう私にとって一番大事なことじゃなくなっていたと。
振り返ると、
私が一番苦しかったのは、
「相手が何者か分からないこと」よりも、
**「自分の感覚を信じられなくなっていたこと」**でした。
おかしいと感じても、
確信が持てない。
傷ついても、
理由を説明できない。
そのたびに、
自分の心を後回しにしてきた。
でも、
少しずつ言葉にしていく中で、
変わっていったことがあります。
「これは嫌だった」
「これはおかしいと感じた」
たとえ説明できなくても、
そう感じた事実だけは、消さなくていいと
思えるようになってきた。
診断名は、
理解の助けになることもあります。
検索した夜も、
無駄じゃなかった。
でも最後に私を支えたのは、
どの言葉でも、
どの定義でもありませんでした。
「私は、確かにそう感じた」
その一点でした。
今の私は、
すべてを白黒はっきりさせなくてもいいと思っています。
分からないままでも、
距離を取っていい。
確信がなくても、自分を守っていい。
それは逃げじゃなくて、
自分を大切にする選択だから。もしこのシリーズをここまで読んでくれたあなたが、
・まだ答えが出ていない
・でも、何かがおかしかった気はしている
・自分を責める癖だけは、少し手放したい
そう思っているなら。
あなたはもう、
混乱の真ん中にはいません。
ここまで耐えてきたあなたは、
何も間違ってい
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