龍のまわりだけ霧が薄かった日
夜明け前の山あいに、白い霧が重なるように観えた日がありました。遠くの峰も足元の草も輪郭を失い、どこまで景色が続いているのか分かりません。その中で、龍は低い岩の上に身体を伏せていました。龍の鱗は青灰色で、鬣にはわずかに白い光が触れていました。大きく動いてはいません。ただ不思議だったのは、龍の身体のまわりだけ霧が薄く、前足と岩の表面が静かに見えていたことです。その先に道があるのか、何かが近づいているのかは観えませんでした。霧が晴れている範囲も広くはなく、龍から少し離れると、景色はまた白く閉じていました。私は「龍のまわりは見えていますが、その外側はまだ霧の中です」とお伝えしました。見えている範囲は小さかった霧が薄いと聞くと、先が明るくなったように感じるかもしれません。けれど、その日に観えたのは、遠くまで続く晴れた景色ではありませんでした。龍が今いる場所と、前足の少し先。それだけです。龍の表情も穏やかでしたが、喜んでいるとも安心しているとも断定できません。顔は正面より少し下を向き、見えている岩肌を確かめているようでした。霧の外へ進もうとする動きは観えませんでした。先が分からないとき、わずかに見えたものを大きな答えにしたくなることがあります。しかし、小さく見えたことは、小さいまま受け取る方がよい場合もあります。今立っている場所が分かることと、これからの行き先が分かることは、同じではありません。霧の向こうを無理に決めない日常でも、すべての事情が揃わないまま判断を求められることがあります。相手の気持ち、仕事の流れ、まだ届いていない知らせ。考えても確かめられない部分が多いほど、不安は空白にさま
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