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♡小さく生まれたスィートテン♡②

結婚10年目の結婚記念日の日に私のお腹にやって来てくれた待望のスィートテン(赤ちゃん)今度は流産しないように本当に気をつけながら一日一日を大切に大切に過ごしていた異変を感じたらすぐに産婦人科に行っていたのでエコー写真はアルバムができるほどある(笑)安定期を過ぎて、妊娠7ヶ月目のある日お腹に異変を感じて、病院に受診!そのまま入院になって・・・その数時間後、まさかの出産!!小さな、小さな赤ちゃんは体重950gで生まれた(続く・・・)
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♡小さく生まれたスィートテン⑤♡

〜人生で私が一番泣いた日〜予期せぬ出産をして、数日後私の退院の日がやってきた…「赤ちゃんを病院に残して、自分だけが家に帰る」そんなことが自分の人生の中に起きるなんてその日まで、考えたこともなかった…出産したら、赤ちゃんと一緒に退院して家族みんなでお家に帰る病院の関係者さんに「おめでとうございます」と見送られてテレビでもよく見る、あの幸せなシーンでも私は違った…小さな小さな息子は、保育器の中・・・愛おしくて、可愛くて、ずっと触れていたい我が子を病院に残して、私だけが帰る…それがどれほど辛いことなのか退院する朝まで、私はわかっていなかった入院中は、一日に何度も保育器の前に行って小さな手に触れて、顔を見て、「頑張ってね」「ママはここにいるよ」って声をかけられたでも、今日からはそれはできない・・・その現実が、寂しくて、苦しくて、辛くて、罪悪感も押し寄せてきて朝から涙が止まらなかったご飯なんて見たくもなくて、退院の時間になっても気持ちは追いつかない・・・看護師さんや先生に「息子をお願いします」そう伝えた瞬間、また涙が溢れた病院からもなかなか出ることができなかった泣いて。泣いて。泣いて。家に帰る道中もどんどん息子から遠くなる距離がたまらなく辛かった大号泣しながら家に入って泣いても泣いても泣いても喪失感しかなくて…どれだけ泣いても、涙は全然止まらなかったあの日は私の人生の中で、一番泣いた日だった(つづく・・・)
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♡小さく生まれたスィートテン♡ ③

予想もしていなかった妊娠7ヶ月(24週)での出産!自分ではまだ呼吸ができない状態だったから触れることも、抱っこすることもできず息子は即、NICU(新生児集中治療室)へ・・・1000gもなかったので『超低体重出生児』という分類だったちなみに、2500g未満の赤ちゃんは低体重出生児1500g未満の赤ちゃんは極低体重出生児1000g未満の赤ちゃんは超低体重出生児になるらしい昔は『未熟児』と言われていたけど機能が未成熟というニュアンスが強いため今は使われにくくなっているみたい私も出産時は大量に出血して一時、意識を失う事態になったけどすぐに回復し、翌日、息子と面会することができた(続く・・・)
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♡小さく生まれたスィートテン⑥♡

人生で一番泣いた退院の日の翌日目が覚めた瞬間、「息子がいない」その現実に胸がギュッとなった出産前までは当たり前だった自宅がとっても寂しい場所に思えた息子の泣き声も聞こえない…もちろん、息子の姿もない…会いたい・・・その気持ちだけで、毎日毎日、病院へ向かった保育器の中で眠る息子小さな手小さな足「ママはここにいるよ」会える時間は限られているだからこそ、ずっと触れていたかったまだ呼吸器がないと自分の力で生きていけない小さすぎる体で生きようとしてくれているまだまだ抱っこはできないけどその日を待ち望みながら時間の限り息子に触れていたい当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないと知った日々生まれたばかりの息子が教えてくれた最初の大切なことだった・・・            文字でお話しませんか?            直接お話しませんか?
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♡小さく生まれてスィートテン④♡

予期せぬ出産後、車椅子に乗ってNICUで息子と初対面「うわ〜、ずっと欲しかった私のこども・・・」(涙)子猫の赤ちゃんのような小さい体に手足に全部、いろんな管が付いている顔には呼吸器・・・まだ自分の力で息ができないでも、その小さな小さな体を精一杯動かして生きていることを証明してくれた「生まれて来てくれてありがとう・・・」「ここに存在してくれてありがとう・・・」「会えて嬉しいよ・・・」「やっと、やっと会えた・・・」今は私の両手を保育器の中の入れて息子の頭とお尻を包み込むように触ることしかできないけど「ママはここにいるよ!」という気持ちをいっぱい込めて息子を抱きしめてる(つもり)生まれた子どもを抱けないなんて考えたこともなかった…実際に息子を抱くことができたのはまだ、まだず〜っと先のことだった(つづく・・・)              あと2名様 ⬇︎
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【NICU】に入院したわが子と初対面

やっと赤ちゃんのお顔が見れる🥰どんな顔をしているんだろう💕どんなふうに泣くんだろう♪ 早く新生児室に呼んでもらえないかとソワソワし、気分は高揚していた。↓↓これまでの経過はこちらから↓↓そして、ついにその時が来た…! 心臓はバクバクして、めっちゃ緊張した。わが子なのに。 とにかく、『早く赤ちゃんに会いたい!!』と思っていた。 …けど、病室から新生児室まで…うまく体が動かせなくて前に進めない…。 産後の痛みや腫れ・貧血があって、チョコプラ並みにそろりそろりと すり足で歩くわたし。新生児室が見えているのに、なかなかたどり着けない… 部屋から新生児室までなんて本当にすぐなのに、すごく遠い部屋に向かってる気分だった。 赤ちゃんは、出生後すぐにNICUに入院したので、この時がちゃんとした「はじめまして」の瞬間✨長い長い廊下を歩いてやっと新生児室にたどり着いた私。 赤ちゃんは一足先に保育器に入ったままNICUから新生児室に連れられていた。 『うわぁ…✨』 『やっと会えた!』 『この子がお腹にいたんや…😌』 待ち望んでいたこの瞬間だった。 生まれた瞬間の様子は残像でしかなかったから、やっとやっとちゃんとわが子と会えて、胸が熱くなり…わたしの心はワシ掴みにされた。 今までに経験したことのないような、愛おしさが溢れてくる。 目から自然と涙がポロポロとこぼれる。 赤ちゃんが無事でいてくれたことに、ホッとした。 でも…抱っこできるんだと思って楽しみにしていたのに、まだ保育器から出ることはできないらしい。 保育器の外側から手を差し込める窓から足だけ触らせてもらうことができた。 わたしの手が冷たかったの
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「ハマスを殲滅(せんめつ)せよ!?」

イスラエルは、何やってんの???「病院にハマスが潜入し、地下司令部を作り、人質も地下に連行している・・・」ということでの、「病院内でのテロ壊滅作戦」ということで「ガス弾」等も使い「イノチを救う病院が、墓場?」になっているじゃんか。「赤ん坊の保育器」も電気ナイから使えないし「未来のハマス?」を「今のうちに消し去る」のが目的じゃろ?違うかい??「赤ん坊を銃で殺害」なんて「世界の猛批判を浴びる?」から「あれ?なんか赤ちゃんが知らないうちに死んだ」なんていう筋書き?じゃろ?「人質救出」なんて「イイワケ」だけで、「赤ん坊から老人まで、全殺害」が目的にしか思えない「イスラエル」という国家、いや「悪魔」じゃ。何が「地上作戦」じゃ。相手は、塀に囲まれ「穴」に隠れるしかない「ハマス」という名の「イスラエルが前に作った部隊」じゃないか~!?まだ、「アラファト議長」が「PLO=パレスチナ解放戦線」で和平的な交渉を続けていた頃じゃと思う。(ボクの記憶ちがいじゃったら、ゴメン)だから、「イスラエル=ハマス」ということで、これって「マッチポンプ」じゃんか~!?「火種(ひだね)をワザと作り、お互いを争わせる」という「どこかの国?やヤツラ?」の得意技じゃ。「戦争経済」を作り「世界にウイルスをばらまき、膨大な利益を得る」、「世界をデジタル管理し、個性や人権を奪う」というなんとも「ニンゲンとは思えない毒素」じゃ。もう「聖書」なんかを「現実化?」なんても~しなくて、イイじゃんか!これからの、世界は、「みんなで何とかガンバロウ!」でイイよ!「あらゆる手段で人口を削減?」なんてあるヒトたちには「もうバレバレ」じゃ。あの
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テクノロジー「未熟児救うピエロ」

【信念】 1930年代のアメリカ医療の世界には ある冷徹な現実が横たわってた時代で 未熟児として生まれた赤ん坊たちには 生きる希望など与えられなかった この子はこの世にそぐわないゆえに 生かすべきではないと言う価値観が 病院に蔓延してた時代で未熟児に対し 延命措置が取られる事は無かった 産声を上げられない命はひそやかに 消えていくしかなくそんな時代の時 病院に見放された赤ん坊達を引き取り 多くの命を救おうと奔走した人がいる その人は「マーティン・クーニー」 と言う人物で医師免許を持ってない 致命的な問題を抱えた偽医者だったが 未熟児を救うという信念は持ってた クーニーは自らをフランスの名医の ピエールコンスタントブーダンの弟子 と称しブーダン医師は未熟児の治療に 画期的な保育器を導入した人物だった しかしクーニーが本当に弟子だったか それとも世間を説得する為の方便かは 今も謎に包まれてるが未熟児の運命を 変えたいと強く願ってたのは真実 彼の行動を見る限り疑いようがなく 病院に見放された赤ん坊達を見て彼は 「この子達は何もされず確実に死ぬが 保育器なら必ず生きる」と確信してた 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【財産】 そして彼はある奇抜な手段をひらめき それは命を救う見世物小屋と言う物を 作る事にし未熟児を保育器に入れ客に 公開するという展示会を開いた 初展示会は1896年ドイツ・ベルリンで その後は世界各国を巡り1903年ついに アメリカに腰を据えることを決意して 建物を借り展示室を作った 入場料は25セントでその収益を全て 未熟児の治療費に充て命を救う為なら どんな方法で
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