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【笑えないエッセイ】ゴールデン街の夜に、国家の天秤を思う―死刑制度をめぐる思索

 夜の帳が下りた新宿ゴールデン街。グラスの触れ合う音に混じって、その夜は死刑制度の是非という重いテーマが議論の俎上に載せられていました。 周囲に座る人々の多くは「死刑反対」の立場をとっており、熱を帯びた言葉が飛び交っていました。 あるキリスト教の信奉者は、「人の命を奪うことは、どのような理由があっても決して許されない」と、まるでそれが揺るぎない一枚岩の真理であるかのように語っていました。 確かに仏教にも「不殺生」という厳格な戒律が存在します。罪を憎んで人を憎まず、命の尊厳は等しく守られるべきだという彼らの主張は、切実で人道的な響きを持っていました。 しかし、お酒の席の熱気のなかに、私は静かに別の視点を置いてみることにしました。 それは決して命を軽んじるからではなく、別の角度からの「救い」と「秩序」を思索した結果です。 まず根底にあるのは、仏教における「世間法(国家の法)」と「出世間法(仏法)」の分離という視点です。 仏教とは本来、個人の心や生き方を説いたものであり、統治機構としての「国のあり方」にまで口を挟むべきではないという考え方です。そしてこの分離の精神は、何も仏教に限った話ではありません。 近代国家の憲法が保障する「内心の自由」の原則にも、深く通ずるものがあると考えています。 個人の心に宿る宗教的・道徳的な理想(=内心の自由)と、国家が治安維持や正義の実現(応報)のために敷いている法律とは、明確に区別されるべきものです。 したがって、国家の法としての死刑を、個人的な戒律である「不殺生」と混同して批判する必要はないのではないか、という意見です。 さらに「自業自得」や「因果応
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