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頭陀袋から思い出したこと

先日、知人のお寺で説法を聞く機会がありました。その日のテーマは「ずたぶくろ」でした。皆さんは、頭陀袋をご存じでしょうか。「頭陀」とは、お釈迦様の教えに従い、衣食住への欲をできるだけ少なくし、質素な暮らしを送りながら修行することをいいます。昔の修行僧は、人里離れた場所で修行をしたり、托鉢をしながら生活していました。その際、お経や法具、そして托鉢でいただいた食べ物や施しの品など、必要なものを入れて持ち歩いていたのが頭陀袋です。説法を聞きながら、「そういえば…」と思い出したことがありました。父が旅立つときのことです。故人に白装束をお着せします。その姿は、お遍路さんの装いにもよく似ています。頭陀袋を手に掛け、六文銭に見立てたものを納め、あの世への長い旅路へ向かう支度をします。そして少し大きめのおにぎりも持たせました。「道中、お腹が空いたら困るからね。」そんな気持ちを込めながら。もちろん、本当に食べるわけではありません。でも、送り出す家族の心としては、「困らないように」「寂しくないように」という願いを込めたくなるものです。頭陀袋のお話を聞きながら、修行僧の袋のことよりも、父を送り出したあの日の光景が浮かんできました。説法というと、仏教の教えを学ぶ時間という印象があります。けれど私にとっては、それだけではありません。一つの言葉から、大切な人との思い出がよみがえったり、自分の心を静かに見つめ直したり。そんな時間でもあります。皆さんにも、何かをきっかけに、懐かしい記憶がふっとよみがえった経験はありませんか。日常の何気ない出来事の中にも、自分の心と向き合うきっかけは、案外たくさんあるのかもしれま
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仏様にも、歩んできた時間があるのかもしれない

先日、知人のお寺の護摩法要に参拝しました。私は密教の修行に関わる中で、仏様と一体となることを大切にしています。護摩の炎を前に手を合わせ、いつものように仏様とのご縁を感じながらお参りしていました。その時、ふと不思議な感覚がありました。「少し重たい……」そんな感覚です。気になった私は、知人に尋ねました。 「あの仏様は、何かいわれがある仏様なのですか? すると、こんなお話を聞きました 「私がこのお寺を受け継いだ時、あの仏様の上の天井が壊れていて、雨がずっと降り注いでいたんです」 その言葉を聞いて、なぜか納得しました。もしかしたら私は、その仏様が長い間受けてこられたものを感じたのかもしれないそう思いました。 もちろん、これは私が感じたことです。でも、その時に改めて思ったことがあります。仏様は、ただ飾られている存在ではなく、そこに関わる人々の祈りや時間、ご縁の中で生きていらっしゃる、と。丁寧にお勤めされているお寺には、やはりそこに流れるものがある。そんなことを感じた一日でした。目に見えるものだけではなく感じるものも大切にしていきたい。そう思わせていただいた参拝でした御祈願を受け付けておりません。これを機に手を合わせてみませんか。💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠💠
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尼僧が経験した不思議な話

父が亡くなる4日ほど前のことです。不思議な夢を見ました。色白で、すらっとした男性が現れました。夢の中で何か会話をしていたはずなのですが、不思議なことに内容はほとんど覚えていません。ただ一つだけ、今でもはっきりと覚えている言葉があります。「大丈夫。ちゃんと守るから」その言葉を聞いたとき、とても嬉しかったのです。安心したというよりも、心の奥がじんわり温かくなるような感覚でした。けれど同時に、なぜか切なさもありました。夢から覚めたあとも、その人にもう一度会いたいと思いました。それほど印象に残る夢でした。その数日後、父は亡くなりました。もちろん、私はこの夢を「誰かが父の死を知らせに来た」とか、「守護霊だった」と断言するつもりはありません。人の心は不思議なもので、自分でも気づかない変化を夢として表現することがあります。もしかしたら、離れて暮らしていた父のことを、気にかけていたからかもしれません。あるいは、人生の節目を前にした私自身の心が生み出した夢だったのかもしれません。真実は分かりません。ただ、お坊さんの立場からすると、夢の意味を無理に決める必要はないように思います。仏教では、出来事そのものよりも、「その出来事を通して何を感じたか」を大切にします。夢が何だったのかは分かりません。けれど私は今でも、あの言葉を思い出すと少し心が温かくなります。 「大丈夫。ちゃんと守るから」父を亡くした今、その言葉は不思議と別の意味を持って聞こえます。父だったのかもしれない。父ではなかったのかもしれない。何か特別な存在だったのかもしれないし、ただの夢だったのかもしれない。答えはありません。でも、あの時感じた
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休んだからこそ、気づけた音

「休むことは、立ち止まること。」以前の私は、そう思っていました。仕事を休めば、周りに迷惑をかけてしまう。何も生み出していない自分には価値がない。そんなふうに、自分を追い込んでいた時期がありました。でも、心と体を休ませる時間をいただいたことで、少しずつ気づいたことがあります。それは、「音」でした。朝、窓の外から聞こえる鳥の声。風が木々を揺らす音。雨が静かに降る音。お湯が沸く音や、お茶を注ぐ音。以前も同じように聞こえていたはずなのに、忙しかった頃の私は、その音を「聞く余裕」がありませんでした。仕事のこと。次にやらなければいけないこと。誰かのこと。頭の中はいつも何かでいっぱいで、心は常に走り続けていました。だからこそ、休んで初めて気づいたのです。「音は、ずっとそこにあった。」変わったのは、音ではありません。私の心でした。仏教では、「今、この瞬間」を大切にすると教えられます。けれど、毎日を一生懸命生きていると、「今」を感じることさえ難しくなることがあります。私自身、休むことに罪悪感を抱いていました。でも、休んだからこそ気づけたものがありました。もしあのまま走り続けていたら、気づけなかった景色や、ご縁や、人の優しさもあったように思います。「休むこと」は、決して後ろ向きなことではありません。心を整え、また前を向いて歩くための、大切な時間です。もし今、毎日を必死に頑張っていて、少し疲れてしまった方がいらっしゃるなら。どうか、ご自身を責めないでください。ほんの少し立ち止まり、耳を澄ませてみてください。もしかすると、あなたの周りにも、ずっと前から変わらず寄り添ってくれていた音があるかもしれません
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修行にてお休みします

法力の向上のため行に入ります3月19日から10日ほどお休みさせて頂きます問い合わせに お返事も難しくなりますのでご理解ください4月になりましたら 加持力を向上した内容を楽しみにしてください
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韓国から戻りました

韓国では尼僧さまにお会いします魂を浄化し毎月、生まれ変わり帰ってきます特別なお札も受けて参りました先生は、もともとシャーマンでありながら仏の道に歩まれた方10万人を視てきた方です先生とのご縁は実に不思議先生がおっしゃるには~自分ととても似ていると・・今回も~あまりにも感性や生き方が同じでお互いに笑ってしまうほどでした運命の出会いってあるのですね韓国に滞在しているときも皆様からのお電話をうけとらせていただいていますココナラは便利ですね8月も後半少し秋の気配が感じられますお体にお気をつけて、いつもお幸せでお過ごしください
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