休んだからこそ、気づけた音
「休むことは、立ち止まること。」以前の私は、そう思っていました。仕事を休めば、周りに迷惑をかけてしまう。何も生み出していない自分には価値がない。そんなふうに、自分を追い込んでいた時期がありました。でも、心と体を休ませる時間をいただいたことで、少しずつ気づいたことがあります。それは、「音」でした。朝、窓の外から聞こえる鳥の声。風が木々を揺らす音。雨が静かに降る音。お湯が沸く音や、お茶を注ぐ音。以前も同じように聞こえていたはずなのに、忙しかった頃の私は、その音を「聞く余裕」がありませんでした。仕事のこと。次にやらなければいけないこと。誰かのこと。頭の中はいつも何かでいっぱいで、心は常に走り続けていました。だからこそ、休んで初めて気づいたのです。「音は、ずっとそこにあった。」変わったのは、音ではありません。私の心でした。仏教では、「今、この瞬間」を大切にすると教えられます。けれど、毎日を一生懸命生きていると、「今」を感じることさえ難しくなることがあります。私自身、休むことに罪悪感を抱いていました。でも、休んだからこそ気づけたものがありました。もしあのまま走り続けていたら、気づけなかった景色や、ご縁や、人の優しさもあったように思います。「休むこと」は、決して後ろ向きなことではありません。心を整え、また前を向いて歩くための、大切な時間です。もし今、毎日を必死に頑張っていて、少し疲れてしまった方がいらっしゃるなら。どうか、ご自身を責めないでください。ほんの少し立ち止まり、耳を澄ませてみてください。もしかすると、あなたの周りにも、ずっと前から変わらず寄り添ってくれていた音があるかもしれません
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