休憩場所
おはようございます。日常が戻った感じです。娘たちや姪っ子甥っ子たちとのひとときも豊かなひとときでした。今年はじめは少し触れたけれど血の繋がり超えた形が生まれはじめてるのを感じました。ここは(自分世界)は全体や愛、根源と表現されているそのものであって、そのひとつの窓を見てる(味わってる)ような感じ。変化し、形を変えそれを体感として味わってるみたいです。血の繋がりの無い、ご縁あるおじさんところへ行くが起きて一日一緒に過ごして、部屋で転がり・・・娘たちがまた、相方さんもいる新居にきてお泊りするも起きてきて・・・今のひととき血の繋がりがなくても広く感じれば全部が繋がってる。全体・・・その動きの上でサラさんを通して様々な認識が起きましたがその都度、サラさんをそっと離れ背後へ、また戻ると離れ背後へ・・・そのような繰り返しだった気がします。まさに、ここに滅しては生じ、滅しては生じ様々な感情、思考が現れては消えていきました。背後はそんなごちゃごちゃしている時も静か・・・そこに戻る。そこが休憩場所のようでもありました。実家では、12人勢ぞろいでしたから母もいっぱいいっぱいでサラさんに怒りをぶつけてくるという一コマもありましたがそれさえも、”サラが言われた”というようなここに、サラ(私)を立て続けることなくその瞬間は過ぎ去っていくように感じました。握りしめている時間が短くなったのでしょうね。怒りが湧いても消えていきます。その言葉(音)もすぐに消えていますし、目の前の母も、部屋を出ればもうありませんし・・・このように、ここを様々なものが生じては滅しています。ここに変化が起きているのですね。でも休憩場
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