休憩場所

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コラム
おはようございます。


日常が戻った感じです。
娘たちや姪っ子甥っ子たちとのひとときも
豊かなひとときでした。


今年はじめは少し触れたけれど
血の繋がり超えた形が生まれはじめてるのを感じました。
ここは(自分世界)は全体や愛、根源と表現されている
そのものであって、そのひとつの窓を見てる(味わってる)ような感じ。


変化し、形を変え
それを体感として味わってるみたいです。


血の繋がりの無い、ご縁あるおじさんところへ行くが起きて
一日一緒に過ごして、部屋で転がり・・・


娘たちがまた、相方さんもいる新居にきて
お泊りするも起きてきて・・・


今のひととき血の繋がりがなくても
広く感じれば
全部が繋がってる。


全体・・・


その動きの上でサラさんを通して様々な認識が起きましたが
その都度、サラさんをそっと離れ
背後へ、また戻ると離れ背後へ・・・
そのような繰り返しだった気がします。


まさに、ここに
滅しては生じ、滅しては生じ
様々な感情、思考が現れては消えていきました。


背後はそんなごちゃごちゃしている時も
静か・・・
そこに戻る。
そこが休憩場所のようでもありました。


実家では、12人勢ぞろいでしたから
母もいっぱいいっぱいで
サラさんに怒りをぶつけてくるという一コマもありましたが
それさえも、
”サラが言われた”
というようなここに、サラ(私)を立て続けることなく
その瞬間は過ぎ去っていくように感じました。


握りしめている時間が短くなったのでしょうね。
怒りが湧いても消えていきます。
その言葉(音)もすぐに消えていますし、
目の前の母も、部屋を出れば
もうありませんし・・・


このように、ここを様々なものが
生じては滅しています。
ここに変化が起きているのですね。


でも休憩場所であるここは動くことはありません。
ど~んと私たちの背後でそれはあります。


ここであると
自然にこのサラという表現も
生き生きする形へと変化しているようにも感じますね。


2人暮らしや、駆け込み寺のように
待機して存在していることが
このサラという存在には心地よく生き生きする状態のようです。


またこれからどのように形を変えていくのかも
楽しみでもあったりします。


私たちの認識がどれだけ不調和だと捉えていても
”起きたこと”はわからないけれど
調和の内です。


不調和だと騒ぐものを
そっと手放して背後の休憩場所へ戻りたいものですね^^











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