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史実って 何?

2023年 2月6日 月曜日 「桶狭間の闘い」で 時の人となった武将『織田信長』 若き頃は「うつけ者」と 誰からも相手に されなかったと聞きます。 今で言う『ヤンキー』でしょうか? 兎に角「目立ちたかった」の一点? そこへ 「美濃のマムシ」と呼ばれた 斎藤道三が娘「濃姫(帰蝶)」の輿入れ。 戦国間も無い当時の定石『政略結婚』 彼女の夢は 亭主を小手先で使い 父(斎藤道三)の夢を実現させる事。すなわち 父には叶わなかった『天下獲り』を 手中に収める事。 もとより目立ちたがりの夫・信長は 妻・濃姫の手のひらの上で転がされ、 家臣一同が考えも及ばなかった奇策 暴風雨の中での奇襲作戦を伝授し、 目立ちたがりな夫の『承認欲求』を ものの見事に満たしてしまう。 傍目からは「切れ者」の親方様も 実は裏では 奥方の言いなりだった? しかし まあ、 戦国の世の 熾烈な戦いが続く中で 信長自身が「思い通りに行かない」高野山を 狂気の焼き討ちにした頃から 妻・帰蝶にも 心の変化が・・。 葛藤に苦しむ夫・信長の姿を まともには見られなくなって行く。 あれほどまでに 父・斎藤道三の成し得なかった夢を 代用品として 押し付けるように [無理矢理]にも押し付けていた自分自身に夢の実現の為の道具(駒)では無く 「夫」と言う姿に見えて来てしまい 好いた人に これ以上の苦しみを与えたくない。 苦悩な姿に耐えられなくなって・・。 もとより、 目立ちたいだけだった こけおどし的な 見た目重視の 小心者の信長は 「何の為に?」と 天下獲りの意味を見失って行く・・。 狂気の親方・信長にこそ価値を見い出し 付いて来ていた家
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常識に縛られない発想

2023年 2月8日 水曜日 文献上資料の薄い「濃姫(帰蝶)」は 謎が多いので 自在に扱えるのかも しれませんね。 歴史上 いつ消えたのかが不明な為、 色んな人に例えられているみたい。 信長に於いても 歴史上のミステリーとして 本能寺延焼の後、 遺体も 遺骨も見付かっておりません。 文献頼みに なっています。 それ故、 映像作家人は過去 いずれの作品に於いても 信長は 明智勢との直接対決途中に 炎の中で舞いながら・・、 みたいな描写に留まっていました。 それがと ある作品では 私の念願通り 脱出してはるんですよォ。 燃え盛る本能寺を横目に 馬を奪って 安土城へ一目散! 「そりゃ、骨は無いわな。」と 膝を「ポン!」と打ちたくなりますよ。 私は拍手喝采な気持ちでした。 歴史上のミステリーで 触れてはならぬ常識を 引っ繰り返してくれたから。 その上で、 ラストは しっかりと納得させてくれます。 文句の付け入るスキは ありません。 夢の潰える瞬間を見られます。 色んな意味で・・。
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幻の弟 清玉上人(阿弥陀寺)

2023年 2月7日 火曜日 鎧・甲冑・蹄(ひづめ)の数 百以上? 千以上? 「がしゃ がしゃ・・」と 足軽達が大群になって 深夜の大移動。 現代と違い 四百年前の京都は 静けさの都。 鎧やら 甲冑やら 馬の蹄(ひづめ)やら それらが 戦に向かうほどの数を揃えて 砂利道? 土の上? 静寂さを保ちつつ進むなんてありえず、 それらの音は 夜空に木霊(やまびこ)のように 響き渡る事でしょう。 遠くから聞こえて来る「その音」が 例えば 自分の寝床に居て だんだん近づいて来るのを 傍の皆で一緒に 耳にすると? 何処に向かっているのか? 誰の処へ向かっているのか? 目的は? 意図するモノは? そして その音が 自分達の陣屋なり 宿舎なりの周りで 間違い無く囲まれた状態で 静かに なったなら? そればかりか 塀の内側から 見上げるように見える 家紋の付いた風に揺れる「のぼり」 「明智光秀の軍勢に ござりまする。」 それは恐らく かなり早い段階で 皆が判断する事が出来ていた筈です。 忍びの存在もあったでしょうから。 ある意味、 事前に脱出する事も可能でした。 しかし、 信長は境内を動かなかった! 秀光も 即座に攻め入る事は無かった筈。 何故なら、 それは ほれ 事前交渉が世の常だから。 まずは使者を送り込み 要件を伝える。 同時に、 要人の存在を確かめる為。 交渉も一度では無いでしょう。 掛けた時間も「それなりに」 たいまつ かがり火 境内から見える その揺らぎの「炎」を見て 信長は「自刃して果てた」そうです。 デスマスクが作られた とも聞きます。 亡骸は即座に荼毘に付され 骨壺に収められまし
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歴史の効能2

前回のブログでは、「歴史を知れば映画やドラマをより深く楽しめる」とお伝えしました。今回はそれに近いのですが、「絵画や文化財をより深く楽しめる」という効能があります。これについての一例を挙げます。大徳寺総見院にある織田信長の木像が、宇和島で公開されたことがありました。京都以外の公開は初めてだったかと思いますが、この時、私は見に行ったんです。私はまじまじと長時間見ていました。「信長ってこんな顔だったのかー」と感慨に耽ったんですね。そんな中で「信長って本当にこんな顔だったのかな」とか「どうせ作り物だから実際はわからないよ」という声を聴きました。私は、そんな目で見るのは勿体ないよな、と感じていました。なぜ、そう言えるのか。それは、この木像ができた背景を知っていれば理解できるのです。1582(天正10)年に起きた本能寺の変で信長が死んだのは有名ですが、この時、信長の遺体は見つかりませんでした。おそらく火薬に引火したなどで爆発的に火の回りが早く、焼失したのだと思います。その後、豊臣秀吉が、謀反を起こした明智光秀を破って、天下人への歩みを進めます。そうした中で信長の葬儀を秀吉が主宰することになりました。しかし、信長の遺骸はありません。そのため秀吉は、信長の木像を2体作らせます。そのうち1体を、遺骸の代わりにして火葬を行いました。そして、もう1体の木像は信長の菩提寺である大徳寺総見院に奉納され、今日に残っているのです。そして、葬儀には生前の信長を見知っている人が多数詰めかけます。その人たちの目に木像が映ったとき、似ていなかったら秀吉への非難が巻き起こります。有力者たちから支持を失うと、秀吉は天
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