前回のブログでは、「歴史を知れば映画やドラマをより深く楽しめる」とお伝えしました。
今回はそれに近いのですが、「絵画や文化財をより深く楽しめる」という効能があります。
これについての一例を挙げます。
大徳寺総見院にある織田信長の木像が、宇和島で公開されたことがありました。
京都以外の公開は初めてだったかと思いますが、この時、私は見に行ったんです。
私はまじまじと長時間見ていました。「信長ってこんな顔だったのかー」と感慨に耽ったんですね。
そんな中で「信長って本当にこんな顔だったのかな」とか「どうせ作り物だから実際はわからないよ」という声を聴きました。
私は、そんな目で見るのは勿体ないよな、と感じていました。
なぜ、そう言えるのか。
それは、この木像ができた背景を知っていれば理解できるのです。
1582(天正10)年に起きた本能寺の変で信長が死んだのは有名ですが、この時、信長の遺体は見つかりませんでした。
おそらく火薬に引火したなどで爆発的に火の回りが早く、焼失したのだと思います。
その後、豊臣秀吉が、謀反を起こした明智光秀を破って、天下人への歩みを進めます。
そうした中で信長の葬儀を秀吉が主宰することになりました。
しかし、信長の遺骸はありません。
そのため秀吉は、信長の木像を2体作らせます。そのうち1体を、遺骸の代わりにして火葬を行いました。
そして、もう1体の木像は信長の菩提寺である大徳寺総見院に奉納され、今日に残っているのです。
そして、葬儀には生前の信長を見知っている人が多数詰めかけます。
その人たちの目に木像が映ったとき、似ていなかったら秀吉への非難が巻き起こります。
有力者たちから支持を失うと、秀吉は天下取りに支障が出かねません。
ですから、生前の姿そのものの木像を作らねばならなかったのです。
もちろん、等身大が必須です。
こうした背景を知って信長の木像を見ると、感慨深いものがありましたよ。
信長公に拝謁してるようなものだと楽しんでおりました。
こうした例は、他の絵画・彫刻・仏像や神像などの文化財にも言えるでしょう。
単に「凄いね」とか「きれい」という以上に作者や関係者の意図などに想いを馳せて楽しむことができます。
今は季節が進み、芸術の秋とも言われる時期になりました。
歴史を知って、芸術を今よりも一歩深く楽しんでみませんか。
ちなみに私がお勧めなのは、秋田蘭画の傑作の数々です。
この秋田蘭画は日本美術史上の奇跡とも言われています。
機会がありましたら、こちらもいずれ言及いたしましょう。
次回も歴史を学ぶ効能を紹介します。