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常識に縛られない発想

2023年 2月8日 水曜日 文献上資料の薄い「濃姫(帰蝶)」は 謎が多いので 自在に扱えるのかも しれませんね。 歴史上 いつ消えたのかが不明な為、 色んな人に例えられているみたい。 信長に於いても 歴史上のミステリーとして 本能寺延焼の後、 遺体も 遺骨も見付かっておりません。 文献頼みに なっています。 それ故、 映像作家人は過去 いずれの作品に於いても 信長は 明智勢との直接対決途中に 炎の中で舞いながら・・、 みたいな描写に留まっていました。 それがと ある作品では 私の念願通り 脱出してはるんですよォ。 燃え盛る本能寺を横目に 馬を奪って 安土城へ一目散! 「そりゃ、骨は無いわな。」と 膝を「ポン!」と打ちたくなりますよ。 私は拍手喝采な気持ちでした。 歴史上のミステリーで 触れてはならぬ常識を 引っ繰り返してくれたから。 その上で、 ラストは しっかりと納得させてくれます。 文句の付け入るスキは ありません。 夢の潰える瞬間を見られます。 色んな意味で・・。
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歴史の効能2

前回のブログでは、「歴史を知れば映画やドラマをより深く楽しめる」とお伝えしました。今回はそれに近いのですが、「絵画や文化財をより深く楽しめる」という効能があります。これについての一例を挙げます。大徳寺総見院にある織田信長の木像が、宇和島で公開されたことがありました。京都以外の公開は初めてだったかと思いますが、この時、私は見に行ったんです。私はまじまじと長時間見ていました。「信長ってこんな顔だったのかー」と感慨に耽ったんですね。そんな中で「信長って本当にこんな顔だったのかな」とか「どうせ作り物だから実際はわからないよ」という声を聴きました。私は、そんな目で見るのは勿体ないよな、と感じていました。なぜ、そう言えるのか。それは、この木像ができた背景を知っていれば理解できるのです。1582(天正10)年に起きた本能寺の変で信長が死んだのは有名ですが、この時、信長の遺体は見つかりませんでした。おそらく火薬に引火したなどで爆発的に火の回りが早く、焼失したのだと思います。その後、豊臣秀吉が、謀反を起こした明智光秀を破って、天下人への歩みを進めます。そうした中で信長の葬儀を秀吉が主宰することになりました。しかし、信長の遺骸はありません。そのため秀吉は、信長の木像を2体作らせます。そのうち1体を、遺骸の代わりにして火葬を行いました。そして、もう1体の木像は信長の菩提寺である大徳寺総見院に奉納され、今日に残っているのです。そして、葬儀には生前の信長を見知っている人が多数詰めかけます。その人たちの目に木像が映ったとき、似ていなかったら秀吉への非難が巻き起こります。有力者たちから支持を失うと、秀吉は天
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あづき

2023年 4月17日 月曜日 幼き頃 勝手に割り込むように「遠駆け」に参加し 一等になるも 女子である為に 相手にされない。 行儀作法を厳しく躾けられるも その父に裏切られ 300文で売り飛ばされる。 盗み食い中に捉えれられるも 信長が妹「お市」に救われる。 家康が「お市」に差し出した南蛮菓子 「金平糖」を「お市」が 突然 口に押し入れた事。 一度は 寸前の危機を記した「お引き候 市」の文を 小豆袋に詰め、 お市が昔 助けられたと言う 家康へ届ける算段をするも 長政家臣らにバレてしまう。 恩人「お市」の心中を察っし 赤子と共に うたた寝している隙に 小谷城を抜け出すも またまた家臣に勘付かれて 川に突き落とされてしまう・・。 当地より 目的の釜ヶ崎へは  距離にして 十里(約40キロ) 一晩 夜が明ければ 長政が軍勢は 信長の首を獲らんが為に 敵陣 朝倉との密約で 義兄 信長を挟み撃ちにて 首を獲る覚悟で進軍途中。 川に落とされるも 命からがら 家康の陣が構える 自らの生まれ故郷 釜ヶ崎へ 只々 ひたすら走り続ける侍女・阿月。 途中で見付かってしまったら 全てが水の泡。 隠密裏に 誰よりも早くに到着しなければ 何の意味も成しません。 只々ひたすらに走り続ける その姿。 史実では なにやら 元亀元年(1570年) 「釜ヶ崎の退き口」 お市の方が 袋の両端を縛った小豆を 信長に送った事で 挟み撃ち(袋のネズミ)の危機を 兄・信長に伝えた そんな逸話をアレンジした脚本でした。 NHK大河 「どうする 家康」 14話 今回の主役は『阿月』 命を懸けての疾走劇 その死を無駄にせぬように
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