私達は、日常的に"がんばる"という言葉を、とてもよく使うと思います。
また、誰かを応援する気持ちを表す時には「がんばれ!」という台詞も頻繁に用いますよね。
ですが、"ストレス社会"と呼ばれる昨今では、10人に1人はうつ病を発症する可能性があると言われ、「うつの人に対して『がんばれ』は禁句!」というような話も、大半の方が耳にしたことがあるのではないでしょうか。
"がんばる"ことを美化しすぎてしまうと、自身が「がんばれない」と感じている状態では、責められているような気持ちになり、かえって苦しくなってしまうのです。
そうした世相を映すように、巷では"がんばらない"ことを勧める心理系の本やブログも、とても多く見かけるようになりました。
「でも、"がんばる"ことって、いけないことなの?」
"がんばる"と"がんばらない"……果たしてこの問題には、正解があるのでしょうか?
今回は、2種類の"がんばる"について、少しお話してみようと思います。
ストレス学説を唱えたカナダの生物学者ハンス・セリエは「ストレスは人生のスパイスである」という言葉を残しました。
"頑張る"という言葉には、「忍耐して、努力する」というような意味がありますが、忍耐や努力の中には、必ず何かしらの"ストレス"が含まれているのではないかと、私は考えています。
ストレスには、実は"快ストレス"と"不快ストレス"の2つの種類があるとされています。
"快ストレス"とは……
目標、夢、スポーツ、良い人間関係など、自分を奮い立たせてくれたり、勇気づけてくれたり、元気にしてくれたりする、刺激とその状態。
人生を豊かにするためには必要なもの。
"不快ストレス"とは……
過労、悪い人間関係、不安など、自分のからだやこころが苦しくなったり、嫌な気分になったり、やる気をなくしたりするような刺激とその状態。
同じ刺激であっても、人それぞれに感じ方は異なると思いますが、自身の経験と照らし合わせると、なんとなくおわかり頂けるのではと思います。
例えば、学生時代に自ら好きで選択した部活や、趣味のための努力、やりがいを感じる仕事、厳しくも愛のある先輩など、しんどい部分はあるけれど、その先に達成感や幸福感が得られ、自らの健やかな成長に繋がるようなものは、"快ストレス"と言えるでしょう。
一方、やりがいを感じられず辛いだけの仕事や、嫌がらせをしてくる上司、モンスターカスタマーなど、自身にとって生産性のある関わりを築けないようなものは、"不快ストレス"に当たります。
つまり、2種類の"がんばる"と先述したのは、自分にとって楽しいこと、やりがいのあることを"がんばる"のと、苦痛でしかないこと、生産性を感じられないことを無理して"がんばる"のとでは、言葉は同じでも、意味合いが全く違ってくるということです。
また、適度なストレスは、人間の行動を適度に活性化し、心理的・生理的に効率の高い状態にしますが、過度のストレスや長期にわたるストレスは、不快感や病気などの害をもたらすとされています。
上記の"快ストレス"のようなものも、自らに過度に課しすぎると"不快ストレス"になってしまう危険性もある、ということです。
これはあくまで一例として、私の体験談ですが……私は歌が好きで、20代の頃からずっと、アマチュアで音楽活動を続けていました。
それである時期、自分なりにストイックに毎日ピアノを弾きこみ、歌の練習をしていたのですが、程なくして、声帯を壊して歌えなくなってしまったことがあります。
幸い声帯は薬ですぐに治ったのですが、大好きだったはずの音楽はいつの間にかしんどくなってしまい、暫くの間、活動をお休みすることになりました。
身体的なストレスは勿論ですが「しっかりやらなきゃ、頑張らなきゃ」という精神的なプレッシャーが、かなり大きかったのだと思います。
今は、自分が心から楽しいと感じられるペースで、心から楽しめる場所に限って、ゆるやかに音楽活動を続けていますが、おかげさまで、とても幸せに音楽と繋がることが出来ています♪
ストレスが少なすぎると、倦怠や意欲低下に繋がってしまいますが、多すぎると心身を壊してしまうんですね。
冒頭でお話した"がんばる"と"がんばらない"は、どちらが正解というものではなく、その種類の見極めと、自分自身の心身の状態の見極め、それを踏まえた"バランスの取り方"が大切、ということなのだろうと思います。
活力を与え、生産性を高める、自身がイキイキと感じられる、バランスの良いがんばり方を。
そして、しんどくなってしまったら、なるべく無理をしないこと。
そのためには日頃から、自分の心の状態によく耳を傾けてあげることが、重要なのではないかと、私は考えています。