終活やめた

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もうずいぶん前の話になりますが、40歳になった時に人生の半分を過ぎたと意識しすぎて、終活を始めました。

ノートを買い、自分の葬儀で使ってほしい写真を選び、あれは誰に、これは誰にあげたい形見分けリストとか、どこに銀行口座を持っていて、今の段階でいくら入っていて、保険はどこと契約していて、なんて、大した金額でもないのですが細かく記載していきました。

そして、数年の間、毎年年末~正月の休みの時に更新したり、変更したりしていました。

でも、それもだんだん書けなくなってきて50歳を前にやめました。書くことそのものがストレスになってきたのです。毎年毎年自分が死んだときのことを考えるなんてどうかしてる。同じ考えるならやりたいことをリストアップしよう。その方が健康的だわと。

しばらくはノートそのものは保管していたのですが、そのノートも50歳になった時に捨てました。

本当に大きな財産がある人は、弁護士さんと相談して後々問題がないようにされるでしょうし、ほとんど断捨離している私など、終活など必要がないのではないか?と思うようになりました。

葬式はやってほしくない。それは義妹に伝達済。もう火葬場直行でいいんです。戒名も墓もいらない。粉になった私をほんの少しだけ大好きな街のどこかで一つまみ撒いてもらえればOK。後は適当にしてほしい。それだけです。

形見分けするようなものもない。本当に何か欲しいものがあるなら、ゴミになる前に取りに来てと近しい友人には言ってます。

死んだあと、私はあちらの世界に慣れるのに忙しいんです。

それに葬儀とかは、こちらに残された人の自己満足だったりします。好きな方法をこちらにいる人が選べばいい。

遺産でもめたら?もめないように全部使い切ります。万が一私がこの先、借金を残して死んだら、相続放棄をしてくれればいいのです。

人間は死に方はなかなか選べません。明日死にたいですと言って予約することもできないし、後10年長生きしたと思ってもできないのです。

以前は「ベッドの上で死にたいよ。」と言っていましたが、この年になると「死に方は選べないので格好悪い死に方でも仕方ない。」「ちょっと痛い死に方かもしれないけど仕方ない。」と思っています。

そして必ずやり残すことが出てくるだろう。そうしたらもう一度人間になって生まれてこようと思っています。

後は家族に任せ、家族が嫌がれば行政にお任せする。

それくらい気楽でもいいのではないかと思う最近です。そしてやりたいことリストはまだまだたくさんあるので、毎日どうすれば「それ」ができるのかどうか計画を立てているところです。

ああ、なんであんなに真剣に自分が死んだ後のことまで心配していたのだろう。←これが今の正直な感想です。


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