娘の旅立ち、そして私の子離れ

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コラム
沖縄を離れ、九州の大学へ進学した長女。
先ほど、入学式が無事に終わったと
連絡がありました。

長女とは北海道→沖縄と
母子家庭の期間が7年間あったので
二人だけの思い出がギュッと詰まっていて……
スマホの画面越しに届いた短い報告なのに、
胸の奥がじんわり熱くなって、
しばらく動けませんでした。

きっと今ごろ、見慣れないキャンパスで、
見慣れない人たちの中に混じって、
少し緊張しながらも背筋を伸ばしているんだろうなぁと
そのように感じています。

進学先を考え始めた頃、私は娘にこう言いました。
“全国どこでも良いから、
自分で行きたいと思う学校を選んでみてね”って。

親がレールを敷くんじゃなくて、
娘が「ここに行きたい」と思える場所を選んでほしかった。
自分の人生の舵を、自分で握る練習をしてほしかった。
そう思っていました。

でも、いざ本当に沖縄を出て行く日が近づくほどに、
私の心は追いつかなくなっていったんです。
荷造りを手伝いながら、
何でもない会話の途中で急に寂しくなったり。
普段通りに笑っているのに、
背中のどこかがぽっかり空いているような感覚がしたり。

「自立できていなかったのは私の方なんじゃない?」
最近は、そんなふうに思う日が増えました。
子離れって、頭では分かっていても、
心がなかなか言うことを聞かないですね。
送り出す側の“練習”の方が、長く必要なのかもしれません。

子育ての中で、私はずっと意識してきたことがあります。
それは、娘の自己肯定感を育むこと。
テストの点数や、できた・できないで評価するよりも、
「考えたこと」「選んだこと」「やってみたこと」を
ちゃんと認めてあげたいと思ってきました。

もちろん、私だって完璧じゃありません。
イライラして言いすぎた日も、反省で眠れなかった夜も、
山ほどあります。
それでも、
「あなたはあなたのままで大丈夫」「失敗してもやり直せる」
という感覚だけは、なるべく娘の中に残したいと願ってきました。

そして今日、入学式を終えた娘の姿を思い浮かべながら、
ふと確信したんです。
あの子が前を向いて進んでいけるのは、
たぶん“自分はやっていける”と信じる芯が、
ちゃんと育っているからなんだろうなって。

自己肯定感って、派手な成果じゃなくて、
こういう場面で静かに効いてくるんですね。
知らない土地で、知らない生活を始めるその瞬間に、
「怖いけど、やってみよう」と思える力。
それは、親が手を貸せない場所に行った時にこそ、
娘を支える“見えない荷物”になってくれる。

娘が自立していくのは嬉しい。誇らしい。
でも、それと同じくらい寂しい。
これはきっと、どっちも本音。
だから最近は、子離れを「手放すこと」だと
思わないようにしています。

私が今やるべきなのは、
娘を手放すことじゃなくて、娘を信じる練習。
そして、私自身の時間を、もう一度私の手に戻していく練習。

娘が旅立っていく春は、親にとっても新学期なんだと思います。
これから先、心配がゼロになることはないでしょう。
だけど、心配しながらも、
ちゃんと笑って暮らせるようになりたい。
娘の成長を、自分の寂しさで曇らせたくない。

入学式が終わった、ただそれだけの出来事なのに、
今日はひとつの節目でした。
娘の人生が一歩進んだ日。
そして、私の人生もまた、少し形を変えて進み始める日。

娘へ。入学おめでとう。
そして私へ。ここまでよく育てたね。ここからも大丈夫だよ。
新しい土地で新しい友達を作って、たくさん迷って、
たくさん笑って、時々泣いて。
その全部が、娘の人生を豊かにしていく。
私は沖縄から、変わらず味方でいる。
だけど、前より少しだけ、距離の取り方が上手な味方でいたい。

この春は、寂しさと同じくらい、希望も確かにあります。
娘が前を向いているのなら、私も前を向こう。
今度は、“母”としてだけじゃなく、
“私”としての未来も一緒に育てていこうと思います。


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