一カ月、ココナラでエンタメ小説の文章添削・内容評価に特化したサービスを提供してきましたが、やはりというかなんというか、一人称叙述(文体)、三人称叙述(文体)というものに苦労していたり、自覚なく間違った理解で書いていたりする人がいるな、と感じています。
私はココナラの株主企業が運営する個人ブログ、note にて小説にまつわる記事を公開しているのですが、そこで書いた文体にまつわる記事なんかは、きっとそういう人たちの役に立つだろう……と思うのですが、残念ながらココナラでは外部サイトへのリンクは禁止なのですよね。
そこでどんなことを書いているか、さわりだけ転記してみましょう。
人称は語り手の立ち位置で決まる
「一人称叙述」「三人称叙述」は、語りで用いられる人称代名詞がどちらなのか、によって区別されている。それが意味するのは、「語り手」つまり小説の文章を記述している主体が誰なのか、ということだ。
語り手が、小説の登場人物である場合は一人称。そこから紡がれる文章は「私は、僕が」と語られる。
語り手が、小説の世界で他者から認識不可能な、透明な存在ならば三人称。この透明な存在による語りは「彼が、彼女は」になる。
個人的にはこの語り手のこと、およびその視点を「カメラアイ」と呼ぶこともある。映画やドラマのカメラマン、あるいは身近なところで言えば、みんなで遊んでいるところをスマホで撮影している誰かさん、のことだと思っていい。
呼び方自体はよくあるものだろう。
このカメラアイが写しているものが、小説の文章として叙述される。
図にするとこのような感じになるだろう。
▲一人称は語り手がカメラを覗き込んでいる
▲三人称では第三者がカメラマンとしてその場にいる
――と、こんなことを書いています。この何倍も。十何倍くらい?
三人称の文章を書いているのは、登場人物ではなく第三者としてのカメラアイ(カメラマン)なのですが、そこが理解されにくいようですね。
もしご興味あるかたは、note というサイトでこの名前のアカウントを探してみてください。