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すべてのブログから「#一人称」タグの検索結果

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俺でも私でもない自分 

感情に寄り添う傾聴人「K」です。こんばんは🍵あなたはご自身の一人称を迷ったことはありますか。日本語って一人称すごく多いですよね。俺、僕、私、わたくし、ウチ、オラ、ワシ、わらわ、小生、拙者((ちょっとマニアックなものまで並べるとキリがなさそうです。そしてこれらの一人称には大体性別のイメージがついていますね。多様な一人称が表現の幅を生んでいたり文字のみで情景を想像する小説や本などではとても大きな役割を発揮します。英語は「 I 」だけI am K.これだとKがどこに属しているのか分からないですね。しかしKにはこの「どこにも属していない」が当てはまります。最近LGBTQ+と言う表記をよく見かけないでしょうか。LGBTじゃないんかいQ+ってなんやねん(エセ関西弁)説明しようすいません偉ぶりました言ってみたっかただけです( ´∀`)【Q】_クエスチョニング自分はただの人間で性別とか決めてないしよく分かんないという感じ。意図的に決めていない場合もありますし模索中という場合もあります。【+】_プラス   ((まんま))LGBTQの枠になんか収まんねえ💥とか、まだまだ名称化されていない性の多様性を表現しています。実際Kも自分でよく分からないんです。ブログVol.4で「Kの系譜」を公開しましたが私では絶対ないような気がするし俺にもなりきれないです。でも自分が自分であることは確かだと思ったので自分を自分と呼ぶことにしています。性別【その他】これも最近よく見かけますよね。アンケートとかにあると自分が飛びつく選択肢です((ココナラの出品も性別【その他】で出させていただいてます。仲間外れみたいと嫌がる人も
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心が動く場所を、私たちは現実と呼ぶ

 私たちは、自分の「死」についてあれこれと思索を巡らせることがあります。 しかし、どれほど深く考えても、実はその答えに辿り着くことはできません。なぜなら、自分自身の死を、自分自身で直接体験し、認識することは不可能だからです。 哲学的に言えば、「一人称の死」というものは存在しません。 それでも私たちが死を恐れ、あるいはその意味を問い続けるのはなぜでしょうか。 それは「その人の行動に影響を与えるものこそを、その人は現実と捉える」という人間の性質があるからです。 まだ見ぬ死への問いが、いま現在の私たちの生き方や選択を大きく変えるからこそ、死は私たちにとって切実な「現実」として立ち現れてきます。 一方で、私たちは他者の死を客観的に知ることもできます。例えば、街頭の電光掲示板に「本日の交通事故死者数」が掲げられているのを目にすれば、今日何人の方が亡くなったのかを正確に把握できます。 これは「二人称、あるいは三人称の死」であり、私たちはそれを社会的な事実として共有しています。 将来、科学や生理学のアプローチが進めば、私たちは脳の化学反応による情動や喜怒哀楽のメカニズムとして、死のプロセスを客観的に語れるようになるかもしれません。 しかし、それらの感情は本来、他者との関わりの中で意味を持つものです。 例えば、無人島に孤立したロビンソン・クルーソーのように、完全に社会から切り離されたとき、私たちの精神や「死」の意味はどう変容するのでしょうか。 そう考えると、私たちが抱く死への恐怖や悲しみすらも、他者との関係性の上に成り立つ「社会的な概念」の一種であると気づかされます。 しかし、そうした社会の枠
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小説の一人称・三人称で困っていますか?

 一カ月、ココナラでエンタメ小説の文章添削・内容評価に特化したサービスを提供してきましたが、やはりというかなんというか、一人称叙述(文体)、三人称叙述(文体)というものに苦労していたり、自覚なく間違った理解で書いていたりする人がいるな、と感じています。 私はココナラの株主企業が運営する個人ブログ、note にて小説にまつわる記事を公開しているのですが、そこで書いた文体にまつわる記事なんかは、きっとそういう人たちの役に立つだろう……と思うのですが、残念ながらココナラでは外部サイトへのリンクは禁止なのですよね。 そこでどんなことを書いているか、さわりだけ転記してみましょう。人称は語り手の立ち位置で決まる 「一人称叙述」「三人称叙述」は、語りで用いられる人称代名詞がどちらなのか、によって区別されている。それが意味するのは、「語り手」つまり小説の文章を記述している主体が誰なのか、ということだ。  語り手が、小説の登場人物である場合は一人称。そこから紡がれる文章は「私は、僕が」と語られる。  語り手が、小説の世界で他者から認識不可能な、透明な存在ならば三人称。この透明な存在による語りは「彼が、彼女は」になる。  個人的にはこの語り手のこと、およびその視点を「カメラアイ」と呼ぶこともある。映画やドラマのカメラマン、あるいは身近なところで言えば、みんなで遊んでいるところをスマホで撮影している誰かさん、のことだと思っていい。  呼び方自体はよくあるものだろう。  このカメラアイが写しているものが、小説の文章として叙述される。  図にするとこのような感じになるだろう。 ▲一人称は語り手
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