言い方を間違えた日は、まっすぐ帰れない

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どうも。エンゲージMaxです。
今日は少しだけ自分語りを。

普段、僕はコミュニケーションや伝え方について人に話す仕事をしています。
だからなのか、たまに自分の言葉のズレに気づくと、わりと長く引きずります。

以前も、そんな日がありました。

仕事の打ち合わせで、後輩が作ってきた案を見ていたときです。
黙って流すより、ちゃんと伝えた方が相手のためだと思って、少し踏み込んだことを言いました。

「丁寧に作ってるのは分かるんだけど、これだけ情報があるのに、読んだあと何も残らないのが一番きついかな」

言った瞬間に、あ、と思いました。

言いたかったのは、内容をもっと整理したら伝わりやすくなる、ということでした。
でも、実際に届いたのはもっと冷たい言葉だったと思います。
“何も残らない”とか“一番きつい”とか、案の話をしているようで、作った本人まで切ってしまう感じがあった。

後輩は「……ああ、なるほど」と言いました。
その返事が、納得というより、一回引っ込めた感じに聞こえてしまって。
会議自体はそのまま進んだんですが、自分の中にはずっと残りました。

僕はこういうのが一番苦手です。

大きな失敗なら、まだ分かりやすいんです。
謝るとか、やり直すとか、次に何をするかが見えるから。

でも、こういう
「謝るほど大げさではない気もする」
「でも、このまま流すには後味が悪い」
みたいなことは、置き場がない。

その日も、駅まで歩いて改札の前で足が止まりました。

このまま帰ると、今日の感じをそのまま家に持ち帰るな、と思ったんです。
コンビニで何か買って、スマホを見ながら食べて、寝る前にもう一回あの一言を思い出す。
たぶんそうなる。

それが嫌でした。

何か食べたい、というより、
まっすぐ帰るのを一回やめたかった。

ふと顔を上げたら、駅の近くの定食屋の看板が見えました。
前からある店で、何度か見たことはあったけど、一人で入ったことはありませんでした。

こういう時って不思議で、最初から「今日はここに入ろう」と思っていたわけじゃないのに、
その日は、そこがちょうどよく見えたんです。

明るすぎない。
うるさすぎない。
でも、ちゃんと温かいものが出てきそうな感じがする。

通り過ぎるつもりで少し歩いて、やっぱり戻りました。

戻りながら、自分でも少し変だなと思いました。
最初から入る気で歩いている人の足取りじゃなくて、
入るか、やめるか、まだ半分しか決めていない人の戻り方でした。

店に入ると、カウンターとテーブル席が半分ずつくらい。
テレビが小さくついていて、厨房から油の音が聞こえる。
誰かが焼き魚を頼んだのか、醤油の焦げた匂いが少しした。

「お一人ですか」

そう聞かれて、「はい」と答えました。
それだけのことなのに、少し喉が乾いていたのを覚えています。

でも案内は普通で、拍子抜けするくらい普通でした。
こちらだけが勝手に気にしていただけで、向こうからすれば一人客なんて珍しくも何ともないんですよね。

カウンターに座って、メニューを開きました。

ああいう時って、メニューを見ればすぐ決まるわけじゃないんです。
お腹は空いてるのに、何を食べたいのかはよく分からない。
でも、選ばないといけない。
その感じが、その日の自分そのものでした。

迷って、結局、焼き魚の定食にしました。
揚げ物ほど勢いはいらないけど、うどんやそばみたいに軽く済ませたいわけでもない。
ちゃんと食べたい。でも重すぎるものは違う。
その中途半端な感じに、一番近かった。

定食が来るまでの数分で、少しずつ落ち着きました。

湯気の立った味噌汁。
白いご飯。
皿の上の焼き魚。
小鉢のひじき。
漬物が少し。

それを見た時、変な言い方だけど、ちゃんとしたものが来た、と思いました。

その日はずっと、言葉の使い方を一個間違えたことが頭の中で引っかかっていて、
気持ちまで雑になりかけていたんだと思います。
だから、目の前に出てきた食事がちゃんとしているだけで、少し救われた。

最初に味噌汁を飲みました。
熱くて、少ししょっぱくて、それだけで胃のあたりが戻ってくる感じがしました。

焼き魚をほぐして、ご飯を一口食べて、また魚を食べる。
それだけなんですけど、そういう順番のある食事って、少し気持ちを整えてくれますね。

何かに追われる感じがない。
でも、ちゃんと手を動かす。
目の前のものを一つずつ片づけていく感じがある。

その時間が、思った以上によかったです。

僕はたぶん、何かを立て直したい時、いきなり大きく立て直したいわけじゃないんだと思います。
もっと小さいことなんですよね。

熱いうちに味噌汁を飲むとか、
魚をきれいに食べるとか、
ご飯を残さず食べるとか。

それくらいの小さなことをちゃんとやると、少しだけ呼吸が深くなる。

食べながら、さっきの会議のことをまだ考えてはいました。
でも、最初ほど尖っていなかった。
言い方を間違えたな、とは思う。
でも、それを頭の中で何十回も再生する感じではなくなっていました。

たぶん、まっすぐ帰らなかったのがよかったんです。

そのまま家に帰っていたら、食事もたぶん雑になっていたと思います。
何かを流し込んで終わり。
それだと、その日の自分まで雑に扱った感じが残る。

でもあの定食屋では、そうならなかった。

誰かと食べるご飯に助けられる日もあるけど、
一人で食べるから助かる日もあります。

その日は完全に後者でした。

誰にも説明しなくていい。
無理に明るくしなくていい。
ただ、自分のペースで食べればいい。

その自由さがありがたかったです。

食べ終わる頃には、何かが解決したわけじゃありません。
昼に言ってしまった一言が消えるわけでもない。
でも、少なくとも、あのままの気分で家に帰るよりはずっとよかった。

店を出たあと、駅に向かいながら、後輩に短いメッセージを送りました。

「さっきの言い方、ちょっときつかったと思う。内容の話をしたかっただけで、あんなふうに言うべきじゃなかった。ごめん」

もっと上手い書き方はあったかもしれません。
でも、その日はそれで十分でした。
完璧な言い方より、放置しないことの方が大事だと思ったからです。

コミュニケーションって、結局、正しいことを言えばいいわけじゃないんですよね。
もちろん中身は大事です。
でも実際には、何を言うかと同じくらい、どう届くかが大事です。

僕自身、こういう小さなズレを何度もやっています。
だからこそ思うのは、
人を動かす言葉も、人を傷つける言葉も、本当にちょっとした角度の違いなんだということです。

もし今、

伝えているのに伝わらない
言ったあとでモヤモヤが残る
相手との距離感がうまく取れない
部下や相手が思ったように動かない
自分の言葉に自信が持てない

そんな引っかかりがあるなら、
一度、整理してみると楽になるかもしれません。

僕もまだ失敗します。
でも、失敗するからこそ分かることもあります。
その日の定食みたいに、派手じゃなくても、人を少し戻してくれる整え方はちゃんとあるんですよね。

伝え方を整えるというのは、誰かを動かす前に、自分の後味を整えることでもあるのかもしれません。

長文失礼致しました。
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