震災の記憶 学んだこと

記事
学び
数年前から
・漠然とした不安感
を感じている。
・茫然とした保安官
・・・・・・ではない。(叱ってください…)

買い物の度に、ちょっと買い足す。
缶詰◯
乾燥わかめ
岩塩
味噌
レトルト食品
水◎
 …など
その他、あえて買ったものは
大容量のバッテリー◯
乾電池◎
懐中電灯◎
簡易トイレ(スツールタイプ)◯
冷水マット
プランター 野菜の種
圧縮タオル、シャツ
卓上コンロ、ガスボンベ◯
ウェットティッシュ◯
しかし、どこまで備蓄しても

完全に安心を得ることはできない。
大災害、飢饉、戦争…何が起こるのか分かりゃしないし、それがいつ起こるのかも分かりゃしない。

私は、東日本大震災を経験した。

水、電気、ガスがなく、食料も乏しい状態を経験した。
特に備蓄をしてなかったが、生き延びている。
しかし、1週間の備蓄はしておいたほうが無難だ。

あの日、私はオフィスの2階にいた。柱の少ない古い建物だった。
経験したことのない揺れ。
止まらない揺れ。
床が波打っているようにみえる。
天井から埃が落ちる。
女性社員の悲鳴。
倒れるロッカー。
物が落ちる音。
天井の空調カバーすべてが開いて揺れる。
そこから、なにか重たいユニットが次々と落下する。

(死ぬ時って、こんな感じか…)

まだ揺れは続く、体は動かない、いや動けない。
「地震の時は、机の下に入りなさい。」
避難訓練で言われるが、
無理だ!
動かないのだ。目の前のパソコンのディスプレイを押さえていた。
どうでもいいディスプレイを押さえていた。頭上の空調設備のユニットがいつ落ちてきてもいい状態でも、ディスプレイから手を離せない!
動けない!
机も椅子もテーブルも、冗談みたいに動く。
女性は腰が抜けたのか、座り込んで泣き叫ぶ。
「嫌ー!」

あとから知ったが、3分ほど揺れていたそうだ。
死を覚悟した長い時間だった。

地震が収まり、上司の指示で避難。
外へ続く螺旋階段は建物から分離していた。
そこを跨いで、地上へ降りた。
駐車場へ集まる、雪が舞っていた。
社用車のラジオから信じられない情報が次々と伝えられる。
10m 15m 30m以上の津波…

会社から車で、自宅へ向かう。
歩道が壊れている。
道路が歪んでいる。
信号機は消えている。
交差点で渋滞する。
あちこちで、黒煙が上がっている。火事だろう。

家族はどうなっているのか。

いつもの何倍もの時間をかけて自宅付近まできた。
家の方角にも黒煙が見える。


無事だった。

下の子はインフルエンザにかかっていた。しかし、2軒隣のお年寄りの車のなかで避難させてもらっていた。
あの雪の中で、外にいたら、危なかったかもしれない。有難かった。

こんな時、人がわかる。 

隣の家族とは、親しいわけでもなかったが、震災直後に、懐中電灯と乾電池を分けてくれた。あと、どこのお店で臨時の開店があるとか、水を得られる場所などを共有してくれた。
人の有難み、情報の必要性を身に染みて感じた。

家族の無事(上の子以外)を確認すると、近くのLAWSONへ走った。
真っ暗な店内は人で埋まっていた。
かごも袋もなく、目の前の食べられそうなものを抱えて、レジへ。
店員4名が懐中電灯と電卓で会計をしていた。
自分の家族が心配なはずだが、必死で会計をしてくれていた。客も静かに並び、じっと会計をまっていた。

店を出ると2時間たっていた。

しかし、手に入れたわずかな食料品は、避難所の配給までの間をつないでくれた。
震災後、そのLAWSONへ行くと、いつも
「あのときは、ありがとう」
という思いが、湧き上がった。
あの時の店員たちの表情。
真っ暗な店内。
今も忘れられない。
せめてもの感謝の気持ちで、そのLAWSONで買い物する時は、予定外の物も買うようにしていた。
これが、後に黒猫とのストーリーにも繋がることになるのだが…

夜が明けると、家の中はひどい有り様だった。食器棚は倒れ、ガラス物は全滅。外をみれば、家の裏が陥没して下水管が露出している。
余震が続き、ぐちゃぐちゃになった家の中には、必要なものを探す以外は、入られない。家族は車の中で過ごした。
寒いので、時々エンジンをかける。ガソリンは半分ぐらいあったが、今後を考えると、無駄にはできない。
このこと以来、ガソリンは半分になったら、必ず給油するようになった。何時間並んでも、給油できない状況になるからだ。

備蓄については、人それぞれだと思う。
持病があって、定期的に薬が必要な方は、無くなってから病院に行くのではなく、少し余分があったほうが良い。
水と食料は基本だが、車の有無で、また必要なものは変わってくるだろう。
備蓄も勿論だが、避難所の確認や、万が一の集合場所も確認しておいたほうが良い。
真夏に起こったら…
真冬に起こったら…
考えることは多い。

あと、現金。電子マネーがメインの方は特に注意だ。
震災の時、人の足元をみて、値上げする店もあった。それを見越しておく必要もある。

意外と困るのが生活用水だ。
トイレ、食器、手洗いなど、思った以上に必要になる。
私は、空になった大きなペットボトルに水を入れて保管している。トータル30リッターはあるだろう。
震災の時は、近くの小学校のプールで調達したが、中々にしんどかったからだ。

キーホルダー。
家族全員、笛を持たしている。瓦礫に埋まった時や、防犯のためだ。また、小さくてもライトがあると心強い。

震災の時、懐中電灯が足りなかったので、上の子の学校へ迎えに行った際は、タバコをカートンで買った時に貰った小さなLEDライトを使った。停電で真っ暗になると、そんな明かりでも頼りになる。

普段気づきにくいが、歩道には多くの段差がある。たかだか2センチぐらいでも、つまづいてしまう。
5キロ程歩くのに、何度も転んだ。
途中から足を引きずって歩いた。
地震そのものでは怪我は無かったのに。
国道沿いを歩いていたが、次第に渋滞が無くなり、車が通る時以外は、真っ暗だった。
転んだ拍子に、気がついた。

星空。

あまりの美しさ、圧倒される広大さ…

ちっぽけなくせに
なんでも人の力だけでできると驕った人間。
失わなければ、気づかない、普段そこにあるもの。
あとから、気づかされたことだが。
その時は、ただ星空に圧倒されていた。

嗚呼……声が漏れるだけだった。

学校は丘の上にある。心臓破りの丘などと、子供と冗談を言っていたが、膝も足首もやられている私には、拷問のようだった。
やっとの思いで学校に着くと、20人程度の生徒と先生が数名いた。
確か、23時を過ぎていた。
聞くと、上の子は先生に送られて、自宅に向かったと言う。

無事で良かった…

と同時に、また歩いて戻るのか…とも思った。
ボロボロのスーツ姿の私をみかねたのか、先生は家まで送って行くと言う。
有難い。

この先生たちも、自分の家族の無事もわからずに、生徒たちを自家用車で送ってくれている。
300人の生徒たちを。
信号機の消えた真っ暗な道を。
この先、貴重になるガソリンを費やして。

報道で見ることはなくとも、被災地域では、職務を超えて、人を助けた方々が大勢いたと思う。
あのLAWSONの店員たち、この先生たちのように…
ちっぽけな人間と言ったが
その言葉は正確ではない。
こんな苦境に立たされても、自己を犠牲にして、人を助けられる人たちがいる。

この世界、この時代に生まれ、この厳しくも大事な学びを得られて、私は幸せだ。
この震災で、家族を失う不幸が無かったから言えることかも知れないが。

どんな備蓄をすれば良いのか。
調べればすぐにわかることだ。
しかし、その必要性や数量、個人的に必要となる物は、しっかりと自らシミュレーションしなければならないと思う。

そのヒントになれば…と、生の経験を書いた。
ライフラインの復旧までのことも、様々あるが、省略する。ガスは2日、電気は3日で復旧した。ちなみに、都市ガスの家庭は1カ月近くかかったそうだ。
水は、10日以上かかった。しかも、制限があって、しばらくはチョロチョロ出るぐらいだった。それでも、嬉しく、有難かった。

最後に、
当時はあまり問題にならなかったが、現在の経済状況、移民問題などを鑑みれば、震災後の強盗・性犯罪・誘拐などの懸念も高まっている。
個人でできることは限られている。

地域の繋がりは、様々に助け合うことができるだろう。
また、経路付近における危険箇所の把握、例えば、街灯のない道や人が隠れられる場所などは気をつけたい。


恐れるな、備えよ。

と、自分に言い聞かせている。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら