書きあぐねてる書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーは、ランニングが好きだ。
いや、好きだった。
いやいや、たぶん今も好きだ。
こういうところからして、すでに書きあぐねている。
好きなら好きだと言えばいいのに、だったとか、たぶんとか、今もとか、余計な言葉をつけてしまう。
でも、ランニングに関しては、わりとはっきりしている。
僕は夏のランニングが好きだ。
それも、少しどうかしていると思われるかもしれないけれど、炎天下のランニングが好きだ。
やっと来ました。
この季節。
汗かき炎天大好物の僕です。
もちろん、炎天下で走るのは危ない。
ここは最初にちゃんと言っておきたい。
水分補給は大事だ。
無理はしない。
暑すぎる日は走らない。
体調が悪い日はやめる。
日陰で休む。
危ないと思ったらすぐ帰る。
ここを雑にしてはいけない。
僕は炎天下が好きだと言っているだけで、炎天下に勝てると言っているわけではない。
夏は強い。
太陽は強い。
人間はわりとすぐ負ける。
だから気をつける。
気をつけるのだけれど、それでも、あの感じが好きなのだ。
じりじりと肌にくる日差し。
首の後ろが熱くなる感じ。
額から汗が落ちてくる感じ。
シャツが背中にはりつく感じ。
アスファルトから、夏ですけど何か、みたいな顔で熱が返ってくる感じ。
暑い。
しんどい。
なんで走ってるんだろう、と思う。
でも、気持ちいい。
この矛盾がいい。
涼しい部屋の中でじっとしていると、頭の中だけが勝手に忙しくなる。
書けないこと。
考えすぎていること。
どうでもいいのに、どうでもよくできないこと。
同じ場所をぐるぐる回っている言葉。
そういうものが、頭の中で湿気を含んで、だんだん重たくなっていく。
でも、外に出る。
靴を履く。
走る。
すると、考えごとが体のほうへ移っていく。
暑い。
息が上がる。
足が重い。
汗が出る。
頭だけで悩んでいたものが、少しずつ体の感覚に変わっていく。
これがいい。
悩みが消えるわけではない。
原稿が勝手に完成するわけでもない。
日光を浴びた瞬間に、天才的な一文が降ってくるわけでもない。
そんな都合のいいことは起きない。
でも、少しだけましになる。
走る前より、少しだけ人間に戻る。
僕は走るとき、音楽やオーディオドラマを聴くことが多い。
これがまたいい。
耳の中では誰かが歌っている。
誰かがしゃべっている。
物語が進んでいる。
事件が起きたり、誰かが笑ったり、誰かが泣いたりしている。
その一方で、僕の体は現実の道を走っている。
足音。
息。
汗。
車の音。
鳥の声。
イヤホンの中の声。
夏の空気。
それらが混ざると、いつもの道が少しだけ違って見える。
ただ近所を走っているだけなのに、自分の人生に勝手に主題歌がつく。
オーディオドラマを聴いていると、現実と物語の境目が少しゆるむ。
もちろん、見た目はたぶん全然かっこよくない。
ワークマンの靴で、汗だくで、顔もそこそこ必死である。
映画の主人公というより、近所でまあまあ暑そうにしている人である。
でも、本人の中ではけっこういい場面なのだ。
外を走っているのに、頭の中では別の場所にもいる。
でも、足はちゃんと前に出ている。
そこがいい。
日光にあたると、少しだけ気分が上がる。
セロトニンがどうとか、そういう話もあるのだと思う。
正確なことを語れるほど詳しくはない。
でも、体感としてはある。
太陽にあたる。
汗をかく。
外の空気を吸う。
景色を見る。
足を動かす。
それだけで、なんとなく機嫌が戻ってくる。
部屋の中で書きあぐねていると、書けないことが、自分そのものの欠陥みたいに思えてくることがある。
でも外に出ると、少し違う。
空がある。
道がある。
草がある。
犬の散歩をしている人がいる。
どこかの家から夕飯っぽい匂いがする。
遠くで子どもの声がする。
世界は、こちらが書けようが書けまいが、普通に続いている。
それがいい。
なんだ。
世界は普通に動いているじゃないか。
だったら僕も、ちょっと走るか。
そんな気分になる。
そして、靴である。
靴は安価なワークマンで結構いいぞ、と思っている。
もちろん、本格的に走る人はちゃんと選んだほうがいい。
足を痛めないことは大事だ。
長い距離を走るなら、靴はかなり大事だと思う。
でも、僕みたいに、ちょっと走る。
汗をかく。
外に出る。
自分の機嫌を取り戻す。
そのくらいなら、最初から気合いを入れすぎなくてもいい。
高い靴を買うと、なんだかちゃんと走らなきゃいけない気がする。
五キロ走らなきゃ。
タイムを測らなきゃ。
フォームを意識しなきゃ。
続けなきゃ。
そうなると、急にランニングが偉くなってしまう。
僕は、ランニングにあまり偉くならないでほしい。
もっと雑でいい。
もっと軽くていい。
今日は走る。
明日は歩く。
暑かったら帰る。
汗をかけたら、それでよし。
そのくらいでいい。
ワークマンの靴には、その気楽さがある。
とりあえず履ける。
とりあえず外に出られる。
高級すぎないから、妙なプレッシャーがない。
これがいい。
ランニングは、立派な人間になるためのものではなくていい。
自分を追い込むためのものでもなくていい。
痩せるためだけのものでもなくていい。
ただ、夏の中に自分を置きに行く。
それだけでもいい。
夏は、景色が変わっていく。
この前まで小さかった草が、気づいたら伸びている。
公園の木陰が濃くなる。
春にはやわらかかった緑が、夏になると急に力強くなる。
空の青も、雲の白も、なんだか遠慮がなくなる。
同じ道を走っているのに、同じ景色ではない。
昨日と今日で、少し違う。
先週と今週では、もっと違う。
緑が増えていく。
影が濃くなっていく。
風の匂いが変わっていく。
それを見るのが好きだ。
車で通ったら、たぶん気づかない。
自転車でも、少し速すぎるかもしれない。
走るくらいの速度がちょうどいい。
遅い。
でも、ちゃんと進んでいる。
この速度が、僕には合っている気がする。
書くことも、たぶんそうなのかもしれない。
一気に名作を書くとか。
一日で何万字も書くとか。
すごいことを考えるとか。
そういうことばかり考えると、すぐに息切れする。
でも、少しずつなら進める。
一文書く。
消す。
また書く。
散歩する。
走る。
汗をかく。
シャワーを浴びる。
また机に戻る。
そのくらいでいい。
夏のランニングは、僕にそれを思い出させてくれる。
そして、炎天下を走っていると、ほんの少しだけ死を意識する。
大げさに聞こえるかもしれない。
でも、夏の強い日差しの下にいると、人間の体というものが急に頼りなく感じられる瞬間がある。
暑さは冗談ではない。
汗は無限には出ない。
体力も無限ではない。
心臓も、肺も、足も、自分のものなのに、自分の思い通りにはならない。
あ、体って有限なんだな。
そう思う。
それは怖いことでもある。
でも、同時に、生きている感じでもある。
死に近づきたいわけではない。
危ないことをしたいわけでもない。
むしろ逆だ。
炎天下を走ると、死を少し意識するからこそ、生きていることの輪郭が濃くなる。
水がうまい。
日陰がありがたい。
風が吹くと救われる。
シャワーが天国みたいに感じる。
普段なら当たり前すぎて見えないものが、急にありがたくなる。
それで思う。
ああ、まだ生きてるな。
まだ走れるな。
まだ書けるかもしれないな。
その感じが、僕は好きなのだと思う。
帰ってきて、シャワーを浴びる。
これがまた最高である。
汗を流す。
冷たい水を飲む。
少しぼんやりする。
そのときの自分は、走る前の自分より、ほんの少しだけましになっている。
すごいことをしたわけではない。
誰かに褒められることでもない。
記録に残ることでもない。
でも、自分ではわかる。
今日は外に出た。
今日は汗をかいた。
今日は夏を少し浴びた。
今日は、自分の体がまだここにあることを思い出した。
それだけで、だいぶ勝っている。
夏のランニングはさいこうだ。
暑い。
しんどい。
危ないときもあるから、無理はしない。
でも、ちゃんと気をつけながら走る夏の道には、不思議な力がある。
日光にあたる。
汗をかく。
音楽やオーディオドラマを聴く。
緑が増えていく道を走る。
景色が変わっていくのを見る。
それだけで、頭の中に少し風が通る。
書きあぐねていた言葉が、すぐに出てくるわけではない。
でも、言葉が出てきそうな場所まで、自分を連れていける気がする。
高い靴じゃなくてもいい。
安価なワークマンの靴でいい。
完璧な準備なんてなくてもいい。
とりあえず靴を履く。
外に出る。
少し走る。
汗をかく。
ちゃんと休む。
水を飲む。
そして帰ってくる。
夏の景色の中で、僕は思う。
ああ、やっぱり。
炎天下を走ると、少しだけ書ける人間に戻れる気がする。
それはたぶん、死を意識する時間だからだ。
そしてその奥で、ちゃんと生きていることを思い出す時間だからだ。
夏のランニングはさいこうだ。