山に登って、岩に手を置いた。
冷たかった。
ざらざらしていた。
そして、少しだけ偉そうだった。
たぶんその岩は、僕が生まれるずっと前からそこにいた。
僕がまだ名前もなく、体もなく、親の予定表にも載っていなかったころから、その岩は雨に打たれ、風に削られ、夏の熱を抱え、冬の冷たさに黙って耐えながら、ずっと山の一部をやっていたのだと思う。
そう考えると、手のひらの感覚が変わった。
僕は岩に触れているのではなく、時間に触れているのかもしれない。
でも、本当に不思議なのは、岩が古いということだけではない。
その岩と僕が、今この瞬間、手のひらのたった一点で触れているということだ。
岩は岩で、長い時間をここまで来た。
僕は僕で、たまたまこの時代に生まれて、たまたまこの日に山へ来て、たまたま足を止めて、たまたま手を伸ばした。
その全部が重ならなければ、この接触は起きなかった。
岩が少し違う場所にあっても、僕が少し違う道を歩いていても、雨が降っていて登山をやめていても、僕がその日、家でだらだらしていても、この一点は生まれなかった。
そう思うと、ただ岩に触っているだけなのに、急に話が大げさになる。
僕と岩は、ずっと別々の時間を生きてきた。
いや、岩は生きてはいないのだけれど、まあ、そこは岩にも少し譲ってほしい。
とにかく、僕と岩はまったく別の場所からここまで来た。
それがほんの一瞬だけ、手のひらの小さな一点で交わる。
これは、けっこうすごいことではないかと思った。
もちろん岩は何も思っていない。
当然だ。
岩なので。
でも、僕のほうは少し困る。
指先に残ったざらざらが、ただのざらざらではなくなる。
それは岩の感触であり、時間の感触であり、僕がまだいなかった世界の名残みたいなものになる。
ここまでは、まあ、かっこいい。
問題は、そのあとだった。
下山して、コンビニでアイスコーヒーを買った。
汗をかいたあとのアイスコーヒーは、だいたい人類の発明ランキング上位に入る。
たぶん火の発見の次くらいには入れてもいい。
いや、それは言いすぎかもしれない。
火には火の立場がある。
カップに氷が入っている。
そこにコーヒーを注ぐ。
ふたをする。
ストローを取る。
そのときだった。
僕はストローを指でつまみながら、ふと思ってしまった。
これも、時間ではないか。
まずい。
ここまで来ると、少し面倒くさい人である。
けれど、一度そう思ってしまうと、もうただのストローには見えない。
プラスチックは、もとをたどれば原油からできている。
その原油は、地下の深いところに眠っていた。
さらにその奥には、はるか昔の生きものや植物たちの残り香のようなものが、長い時間をかけて変化した歴史がある。
つまり、今僕が指でつまんでいるこの軽いストローの奥には、僕が生まれるどころか、人間がまだこの世界で偉そうに歩き回る前の時間が眠っているかもしれない。
太古の時間が、細くて軽い棒になっている。
しかも僕は、それを使ってアイスコーヒーを飲もうとしている。
壮大なのか、しょうもないのか、よくわからない。
地球の長い時間を口にくわえて、税込いくらかのコーヒーを吸っている。
そう考えると、自分がえらくなったような、逆にものすごく小さくなったような気がした。
岩に触れたときは、時間に触れている感じがした。
ストローを持ったときは、時間を雑に扱っている感じがした。
人間というのは、なかなかすごい。
太古のものを掘り出して、精製して、加工して、個包装して、最後には「これ何ゴミだっけ」と悩む。
文明は偉大だ。
そして、少し雑だ。
でも、ここでもやっぱり不思議なのは一点なのだ。
そのストローが僕の指に触れている。
ただそれだけのことに、長すぎる過去と、今ここにいる僕が重なっている。
地下に眠っていたもの。
工場を通ったもの。
運ばれてきたもの。
袋に入れられたもの。
店に並んだもの。
それを僕が取ったこと。
それらの流れが全部つながって、最後に僕の指先に来る。
たった一点で。
なんだろう。
世界は雑に見えて、意外と律儀なのかもしれない。
雨もまた、不思議だ。
雨の日、手のひらに雨粒が落ちる。
冷たい。
ただの水だと思う。
けれど、その水はもともと何だったのだろう。
海だったのかもしれない。
川だったのかもしれない。
誰かの涙だったのかもしれない。
誰かが流した汚れた水だったのかもしれない。
それが蒸発して、雲になって、また雨として落ちてくる。
前の名前をなくして、別の姿になって、何食わぬ顔で僕の手に触れる。
涙だったとしても、雨になる。
汚れた水だったとしても、雨になる。
海だったものも、川だったものも、誰かの体の中にあった水も、やがてどこかでまた巡ってくる。
そう考えると、世界は思っているよりずっと使いまわされている。
かなり壮大なリサイクルである。
しかも、誰も「再利用しました」とラベルを貼ってくれない。
雨は雨の顔をして降ってくる。
ストローはストローの顔をして袋に入っている。
岩は岩の顔をして山にいる。
みんな、前世を隠している。
そして僕は、その正体も知らないまま触れている。
雨粒が手に落ちる。
その一点で、どこかの海と、知らない誰かの涙と、空と雲と僕の手のひらがつながる。
大げさに言えば、それは奇跡だ。
でも見た目は、ただの雨である。
ここがいい。
世界は、壮大なことをするときほど、わりと普通の顔をしている。
岩に触れる。
ストローを持つ。
雨に濡れる。
どれも日常の中では、ほとんど見過ごしてしまうようなことだ。
でも本当は、その一瞬の一点に、長い時間がぎゅっと集まっている。
僕が生まれる前からあったもの。
名前をなくしたもの。
形を変えたもの。
どこかを旅してきたもの。
それらが今、僕の指先や手のひらに触れている。
そう思うと、世界の手触りが少し変わる。
目の前の机も、紙も、カップも、靴の底についた砂も、急にただの物ではなくなってくる。
この机は、かつて何だったのか。
この紙は、どこから来たのか。
このコーヒーは、どれだけの水と土と光を通って、僕の前に置かれているのか。
何気なく触っているものの奥には、だいたい長い旅がある。
僕たちは毎日、ただ物に触れているようで、本当は何かの続きに触れているのかもしれない。
そして、その接点はいつも小さい。
手のひら。
指先。
唇。
靴の裏。
雨粒が落ちた皮膚の一部分。
世界と自分は、いつも大きくつながっているわけではない。
むしろ、ほんの小さな一点でつながっている。
でも、その一点があるから、不思議なのだ。
全部を理解する必要はない。
由来を完全に知る必要もない。
ただ、今ここで触れている。
それだけで、十分に変だ。
十分に面白い。
十分に奇跡っぽい。
僕はほんの少しのあいだ、この世界にいる。
岩に比べたら、たぶん一瞬だ。
雨の循環に比べても、きっと短い。
ストローに比べたら長いかもしれないが、ストローと寿命で勝負しても、あまり自慢にはならない。
それでも、その短い時間の中で、僕はいろいろなものに触れる。
僕より前にあったもの。
僕よりあとにも残るもの。
もう名前をなくしたもの。
これから名前をなくしていくもの。
そして、僕もいつか名前をなくす。
そう考えると、少しだけ静かな気持ちになる。
いつか僕も、何かの一部になるのだろうか。
土になるのか。
雨になるのか。
風に混じるのか。
誰かの足元の小さな石になるのか。
できれば、鼻水だけは避けたい。
いや、でもそれも僕が決められることではない。
世界のリサイクル精神は、たぶんこちらの希望をあまり聞いてくれない。
そんなことを考えながら、僕はストローでアイスコーヒーを飲んだ。
太古の時間は、思ったより軽かった。
そして、少しだけ苦かった。