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書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーの独り言。仰々しくなくてもいい。見たことがあるような物語でも、聞いたことがあるような物語でも、型を借りて書いていいじゃないか。奇をてらったものばかりでなくてもいい。売れそうな流れには、素直に乗ってみればいい。

見たことある物語で、いいじゃないか 仰々しくなくてもいいのではないか、と最近よく思う。 ものすごく新しいものを書こうとしなくてもいい。誰も思いつかなかった設定を持ってこなくてもいい。読者の度肝を抜くような構造を考えなくてもいい。ページをめくった瞬間に「これは文学史が変わるぞ」と思わせなくてもいい。 もちろん、そういうものを書けるなら、それは素晴らしい。誰も見たことのない景色を言葉で立ち上げられる人は、本当にすごいと思う。自分の内側にしかない世界を、きちんと他人の目にも見えるように差し出せる人は、尊敬する。 でも、いつもそんなものばかりを目指していたら、たぶん、多くの人は書けなくなる。 少なくとも僕は、書けなくなる。 書く前から、こんな声が頭の中で鳴りはじめる。 これはどこかで見たことがあるんじゃないか。 この展開は、ありがちなんじゃないか。 この人物は、昔読んだ小説の誰かに似ているんじゃないか。 この舞台は、もう誰かが使っているんじゃないか。 この題材は、使い古されているんじゃないか。 そうやって、まだ一行も書いていないうちから、自分の中の校閲者だか批評家だか裁判官だかが、赤ペンを持って立ち上がる。そして、こちらが椅子に座るより先に言う。 それ、新しくないですよ。 いや、わかっている。 そんなことは、自分でもわかっている。 世の中に物語はたくさんある。小説も映画も漫画もドラマもアニメも、もう数え切れないほどある。恋愛も、別れも、再会も、殺人も、家族の秘密も、喫茶店も、図書館も、猫も、手紙も、雨の夜も、古いアパートも、商店街も、遺品整理も、失踪も、記憶喪失も、タイムリープも、余命
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書きあぐねてる書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーはランニングが好きだ。やっときましたこの季節、汗かき炎天大好物の僕です。炎天下を走ると、少しだけ書ける人間に戻れる気がする。それは死を意識する時間だからかもしれない。

書きあぐねてる書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーは、ランニングが好きだ。 いや、好きだった。 いやいや、たぶん今も好きだ。 こういうところからして、すでに書きあぐねている。 好きなら好きだと言えばいいのに、だったとか、たぶんとか、今もとか、余計な言葉をつけてしまう。 でも、ランニングに関しては、わりとはっきりしている。 僕は夏のランニングが好きだ。 それも、少しどうかしていると思われるかもしれないけれど、炎天下のランニングが好きだ。 やっと来ました。 この季節。 汗かき炎天大好物の僕です。 もちろん、炎天下で走るのは危ない。 ここは最初にちゃんと言っておきたい。 水分補給は大事だ。 無理はしない。 暑すぎる日は走らない。 体調が悪い日はやめる。 日陰で休む。 危ないと思ったらすぐ帰る。 ここを雑にしてはいけない。 僕は炎天下が好きだと言っているだけで、炎天下に勝てると言っているわけではない。 夏は強い。 太陽は強い。 人間はわりとすぐ負ける。 だから気をつける。 気をつけるのだけれど、それでも、あの感じが好きなのだ。 じりじりと肌にくる日差し。 首の後ろが熱くなる感じ。 額から汗が落ちてくる感じ。 シャツが背中にはりつく感じ。 アスファルトから、夏ですけど何か、みたいな顔で熱が返ってくる感じ。 暑い。 しんどい。 なんで走ってるんだろう、と思う。 でも、気持ちいい。 この矛盾がいい。 涼しい部屋の中でじっとしていると、頭の中だけが勝手に忙しくなる。 書けないこと。 考えすぎていること。 どうでもいいのに、どうでもよくできないこと。 同じ場所をぐるぐる回っている言葉。 そうい
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書きあぐねてる書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーは触れているものの幻想的な意識の正体が自分だけなのかと考える休日の午前の話。岩に触れたとき、僕は時間に触れていた。問題は、コンビニのストローでも同じことを考えてしまったことだ。山の岩、化石、ストロー、雨。何気なく触れているものの奥には、僕が生まれる前から続いている時間があるのかもしれない。少しかっこよくて、少しくだらない、日常の手触りについてのエッセイです。

山に登って、岩に手を置いた。冷たかった。 ざらざらしていた。 そして、少しだけ偉そうだった。 たぶんその岩は、僕が生まれるずっと前からそこにいた。 僕がまだ名前もなく、体もなく、親の予定表にも載っていなかったころから、その岩は雨に打たれ、風に削られ、夏の熱を抱え、冬の冷たさに黙って耐えながら、ずっと山の一部をやっていたのだと思う。 そう考えると、手のひらの感覚が変わった。 僕は岩に触れているのではなく、時間に触れているのかもしれない。 でも、本当に不思議なのは、岩が古いということだけではない。 その岩と僕が、今この瞬間、手のひらのたった一点で触れているということだ。 岩は岩で、長い時間をここまで来た。 僕は僕で、たまたまこの時代に生まれて、たまたまこの日に山へ来て、たまたま足を止めて、たまたま手を伸ばした。 その全部が重ならなければ、この接触は起きなかった。 岩が少し違う場所にあっても、僕が少し違う道を歩いていても、雨が降っていて登山をやめていても、僕がその日、家でだらだらしていても、この一点は生まれなかった。 そう思うと、ただ岩に触っているだけなのに、急に話が大げさになる。 僕と岩は、ずっと別々の時間を生きてきた。 いや、岩は生きてはいないのだけれど、まあ、そこは岩にも少し譲ってほしい。 とにかく、僕と岩はまったく別の場所からここまで来た。 それがほんの一瞬だけ、手のひらの小さな一点で交わる。 これは、けっこうすごいことではないかと思った。 もちろん岩は何も思っていない。 当然だ。 岩なので。 でも、僕のほうは少し困る。 指先に残ったざらざらが、ただのざらざらではなくなる。
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書きあぐねる作家の髙橋P.モンゴメリーの今日のエッセイを書いてみようとネタさがす。でも、そんなものは暮らしの中でたくさん落ちていた。そんなエッセイ。

今日のエッセイを書いてみようと思った。 そう思ったところまでは、とてもよかった。 問題は、そのあとである。 書くことがない。 本当に、何も浮かばない。 今日という一日を思い返してみても、誰かに胸を張って話せるような出来事はなかった。 大きな感動もない。 劇的な事件もない。 人生がひっくり返るような出会いもない。 玄関を開けたら、見知らぬ紳士が立っていて「あなたにだけ伝えたい秘密があります」と言ってくることもない。 冷蔵庫の奥から、十年前の自分が書いた手紙が出てくることもない。 炊飯器が急に人間の言葉を話し出して、人生相談に乗ってくれることもない。 ただ、朝が来て、昼が過ぎて、夕方になった。 それだけだった。 でも、その「それだけ」を、僕はずいぶん雑に扱っていたのかもしれない。 何もなかった日。 そう言ってしまえば簡単である。 言葉にすれば、たった八文字くらいで片づいてしまう。 けれど、本当に何もなかったのだろうか。 ただ僕が、ちゃんと見ていなかっただけではないのか。 今日の僕は、エッセイのネタを探していた。 どこか遠くにあると思っていた。 特別な場所に行けば見つかると思っていた。 珍しいものを見たり、誰かと印象的な会話をしたり、胸に残る出来事が起きたりしないと、エッセイなんて書けないと思っていた。 けれど、よく考えてみると、暮らしはそんなに大げさではない。 たいていの日は、もっと静かに始まる。 朝、目が覚める。 布団の中で、しばらく動かない。 起きなければいけないことはわかっている。 でも、起きるという行為には、毎回ほんの少しだけ勇気がいる。 大げさに聞こえるかもしれない。 け
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