「人間は考える葦である」
私の大好きな言葉です。この言葉は、多くの方がご存じだと思います。17世紀のフランスの思想家パスカルの言葉や文章を集めた「パンセ」の中に出てくる言葉です。私の読んだ本の中には、この言葉について、次のようなことが書かれていました。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」・「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」・
「考えが、人間の偉大さをつくる」
本当にそう思います。「考える」こと、そして「考える」習慣を付けることは、子どもを育てるうえで、とても重要なことだと思います。
自分が小学校の担任だったころ、子どもにもしょっちゅう「自分で考えなさい」ということを口癖のように言っていました。私のクラスの子どもたちが、お楽しみ会で、ジェスチャーゲームをやり、人差し指で、頭を2,3回たたく仕草をすると、全員が「〇〇先生!(私の名前)」といいました。それぐらいに度々そのポーズを子どもの前でしていました。
「今、何をする時間なのか」「自分のした行動が正しかったのか」「自分はどうするべきなのか」「なぜ、そう思うのか」自分で考えることを要求してきました。
今の子どもたちの弱い部分は、この部分だと感じています。物事をあまり深く考える習慣付けがされていません。今、学校教育の在り方が大きく変わり、自分で考える力の育成が叫ばれています。ですが、これは簡単に育つような力ではありません。また、自分一人だけで育っていくものでもありません。一緒に寄り添い、伴走者のように考えてくれる、話してくれる「特別な他者」が必要です。
長く、教員生活をしていて、たくさんの勉強のできるお子さんに出会いました。けれども本当の意味で「クレバー」なお子さんは、そのうちの一握りだったと思います。
教員でも同じでした。言われたこと(指示させたこと)はできても自分で「なぜ?」を考える。自分自身を俯瞰して見られる「賢い」教員は、あまり多くはありません。
「無意識」のうちにやっていることを「意識する」。「慣例化されたことの意味を「考える」。とても重要だと思います。子どもや若い方たちに伝えていきたいと考えています。
自分自身、時に理屈っぽいと批判を受けることもあります。ですが、やっぱり生きているうちは、しっかりと「考えて」いきたいと思っています。