「悪口」と「愚痴」は、似ているようで異なります。事実や気持ちの一言を述べるだけならまだしも、そこに個人的な感情や評価が加わると、それは悪口になりやすくなります。特に、SNSのように多くの人が目にする場所では、注目を集めるために表現が過激になり、意図せず悪口と捉えられてしまう可能性が高まります。
大切なのは、述べられた事実に対してどう感じるかは、それを見た人、聞いた人が決めるということです。自分の意見への同意を強要したり、それが正しいと主張したりするのではなく、もし自分の考えに不安があるなら、愚痴をこぼすのではなく、質問をしてみるのが建設的でしょう。
では、なぜ私たちは悪口を言ってしまうのでしょうか? その背景には、いくつかの理由が考えられます。
ストレス解消: 日常の不満や鬱積した感情を吐き出す手段として。
仲間集めによる安心感: 自分の意見に自信がないため、共感してくれる人を探し、安心したいという心理。
相手の評価を下げ、自己肯定感を高める: 他者を貶めることで、相対的に自分の価値を上げようとする意識。
表現力不足: 伝えたいことがうまく言葉にならず、結果的に攻撃的な表現になってしまう。
無自覚: 自分が悪口を言っているという認識がない。正義感から発言している場合も含まれる。
この中で、1から4は意識することで改善できる可能性があります。しかし、5の無自覚の悪口は、根深く、対応が難しい問題です。
悪口は、いじめと共通する側面を持っています。それは、「周りから言われたら悪口なのだ」という点です。たとえ自分に悪意がなかったとしても、相手が不快に感じたなら、それは悪口になり得るのです。
「悪口を言っているよ」と指摘された時、私たちはつい反発し、「そんなつもりはない」「誤解だ」と感じてしまうかもしれません。しかし、悪口もいじめも、誰にでも起こりうる可能性があることを認識する必要があります。指摘された時に、自分の言動を振り返り、改めることができれば、相手も自分も深く傷つかずに済むはずです。もし、悪口を言っているつもりではなかったなら、上記の理由の1から4のいずれかに当てはまるかもしれません。ですから、相手の受け止め方はさておき、悪口を言ってしまった側には、何らかの落ち度があると言えるでしょう。
このようなことを述べている私自身も、過去に多くの失敗をしてきました。信じていただけないかもしれませんが、その都度、深く後悔し、申し訳ない気持ちでいっぱいです。だからこそ、自分が成長し、悪口を言わない人間になる以外に道はないと痛感しています。
まずは私自身から、悪口やいじめのない世界を創っていきたい。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、この綺麗事が日常になることを心から願っています。