【短編】害虫駆除 ※虫は出ません

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 広い部屋だった。
 いや、サイズ的にはそれほどでもないかもしれないが、物がないので広く見える。
 横幅一メートル五十センチほどの木製の重厚なテーブルと、上質なことが一目でわかる黒革の椅子。
 そして中央にあるローテーブルと、それを挟んで向かい合うように置かれた三人掛けのソファーがふたつ。
 この部屋にあるのは、それだけだった。
 いや、テーブルの上にはパソコンや書類などが置かれており、人の気配がない、ということはない。
 だが、生活感の感じられない部屋だった。
 三人掛けソファーのうちひとつ、部屋の出入り口に向かい合う形で置かれた方に、男が座っている。
 彼がこの部屋の主なのであろう。
 年齢は、三十代の半ばだろうか?
 体つきや顔立ちから男性であることは瞭然だが、ツヤのある黒髪は肩甲骨のあたりまで伸ばされている。
 グレーのスーツに黒髪が散っている様は、妙に艶めかしい。
 そしてもうひとり。
 ソファーには座らず、その隣に佇んでいる女性がいる。
 黒色の長いスカートに、純白のエプロン。
 一昔前によく見た丈の短いフレンチメイドではなく、英国で実際に使用されるようなクラシックタイプのメイド服だ。
 髪は後頭部でシニヨンに結い上げられており、ノーメイクかと見紛う程薄くだが、化粧も施している。
 美しい顔立ちをしているが、表情がなく、まるで人形のように作り物めいて見える女性だった。
 一瞬、彼女の瞳が獲物を見つけた猛禽類の如く鋭く光った。
 その瞳の輝きが、彼女がマネキンではなく人間なのだと証明する唯一だった。
 男はほんの一瞬彼女に視線を向けたが、なにも言わずに視線を逸らす。
 その空間に、音はなかった。
 しかし、突如世界に音が飛びこんでくる。
 悲鳴や銃声、ドタバタという足音など、平和的な音では決してない。

「騒がしいな」

 しかし、男は柔らかなソファーに深く腰掛けたまま、怯えた様子など微塵もなく、たっぷりのミルクを注いだ紅茶を飲む余裕すら見せていた。

「あえて、お聞きします。避難するおつもりは?」

 変わらずソファーの横に佇んでいるメイド服の女性が問いかける。
 銃声や悲鳴が響いても動揺しないなど、正気の沙汰ではない。
 しかし、ふたりはそれを慣れたように……それこそ、日常の騒音と同じように捉えているようだ。
 あえて、という言葉の通り、メイドは男が避難するとは思っていないのだろう。

「おまえがいて、私が逃げる必要があるとでも?」

 男は首を傾げながらメイドを見上げた。
 黒髪がするりと肩を滑り落ちる。
 笑顔、と表現するには少し硬すぎる表情であるが、無表情と表現するには口元が歪んでいる。
 アルカイックスマイル、と表現するのが一番近いだろう表情の男に、メイドは無表情のまま、ひとつ溜息を吐く。
 呆れの溜息だろうことは瞭然だ。
 表情筋はほとんど仕事をしていないというのに、まとう雰囲気が雄弁に彼女の気持ちを表している。

「過信はなりませんよ、マスター。いつか私がマスターの首を狙ったら、どうするおつもりで?」
「おまえに裏切られたとしたら、私はその程度の男だったということだ。そんな人生に悔いはないね」

 男の返事に迷いはなかった。
 表情や雰囲気にも、嘘だと言える決定打はなにひとつない。
 それに対してメイドが表情を変えることはなかったが、雰囲気が少しだけ柔らかくなった。
 それを感じたのであろう男は、今度こそ目許も和ませて、笑みを浮かべた。
 足音が近付いてきても、男は悠然と足を組んで座っている。
 逃げる気も、怯える気も、命乞いをする気もないのだ。
 メイドが一歩前に出て、スカートを翻しながら爪先でくるりと体を回転させ、男の方を向いた。

「マスター、許可を」

 男が表情を崩した。
 彼女が愛しくて堪らない、とでも言いたげに。

「存分に暴れておいで、私の可愛い猟犬」
「仰せのままに」

 メイドが指先でスカートを持ち上げ、仰々しくも見える所作で頭を下げた。
 男は満足げにそれを見やる。
 側面のスカートがめくれ、黒いタイツを履いた足が晒される。

「ねずみ一匹、生きては逃がしません」

 顔を上げたメイドは、ニタリ、とその服装に相応しくない笑みを浮かべている。
 そして再び彼女が扉の方を向くと、またもやスカートが風に舞う。
 瞬間、扉が音を立てて蹴破られた。
 らしからぬ笑みを浮かべていたメイドが、今度は口角を上げ、目許を和ませ、綺麗な微笑みを浮かべた。
 客をもてなすときに浮かべる笑顔と同種のものだ。
 その顔立ちが美しいからこそ、そして微笑みが綺麗だからこそ、やはり人形のような印象は拭い去れない。

「いらっしゃいませ。我が主の部屋へようこそ」

 しゃがみこんだメイドのスカートがまくれあがる。
 黒いタイツに紛れるように存在した太ももの黒いホルスターから銃を抜き取ったメイドはもてなしの笑みを浮かべたままにその引き金を引く。
 響く銃声、響く悲鳴、響く怒声。
 右手の銃を撃ち切ってすぐに、左手で銃を抜き取って撃ち続ける。
 二丁すべて撃ち切ってから、右手に新たな銃、左手にナイフを握って、メイドは足のバネを利用し、その場から飛び退いて自身に放たれた弾丸を避け、そのまま彼女の最愛の主の眼前に躍り出て、彼に向かっていた弾丸をすべてナイフで叩き落とした。

「ノックもなしに我が主の部屋に押し入る輩に、礼儀など必要ないかと存じます」

 乱入者との間にある、男性でも最低七歩は要するだろう距離を一瞬で詰めたメイドは、スカートを翻して一人の男の喉元を蹴り上げた。
 勢いをそのままに、隣の男の肩を左手のナイフで斬りつける。
 そして後方に宙返りしながら、銃口を乱入者に向けて、乱射した。
 彼女の主は、楽しげにメイドの動きを目で追いながら、呑気にティータイムを続行している。
 メイドに向けられるのは、絶対的な信頼の視線だ。
 彼女がいる以上、自分が死ぬことはない、と盲目的に信じる目だった。
 激しい銃撃戦は、五分にも満たなかった。
 銃声が止んだあと、部屋に響くのは荒い息遣いと、唸り声だけだ。

「さて。誰に、どういうつもりで送りこまれたか。皆様にお伺いすることはたくさんありますゆえ、意識は失わないようお願いいたします。臓器の類は一切傷付けておりませんので、そう難しいことではないはずでございます」

 メイドはつい先ほどまでの人形のようなただ美しい笑顔が嘘のように、楽しげに笑っていた。
 作り物めいた美しさに暖かさが加わり、彼女の存在が一気に現実味を帯びる。

「おまえは本当に性格が悪いね」
「お褒めの言葉とお受けしてもよろしいですか、マスター」
「もちろんだよ」

 男の視線は倒れ伏している乱入者の手足に集中している。
 メイドの銃撃が一番集中する箇所だ。
 これ以上戦えないようにしなければならない、けれど情報を得るために殺せない。
 そんなとき、メイドは手足に弾丸を集中させ、銃を握れないように、動けないようにするのだ。
 乱入者たちは全員、肩か肘、膝を徹底的に壊されている。
 もしも生きてこの館を出ることができたとしても、もう二度と同じ職種に就くことはできないだろう。

「地下牢に」

 メイドが呟くように言うと、天井から数人の男が降ってきて、倒れている十人強の乱入者を担ぎ上げた。

「聞けるだけ聞き出しておきなさい。……まだ、殺してはいけませんよ?」

 私の可愛い猟犬、という言葉に嘘はない。
 メイド……彼女は男のボディガードとして雇われており、メイド服を身に付ける必要は一切ないのだ。
 家事力は壊滅的で、掃除をさせれば最初の五倍散らかる、と言われるほどである。
 それでも彼女がメイド服を身に付けているのは、彼女の主が願ったことと、動きやすいことが理由だ。
 要人との会談の際に主の傍に控えていても怪しまれず、外を歩く際に主の斜め後ろにいても疑問を抱かれない。
 見えないように守ることも可能だが、近くにいられた方が楽なのだ。
 部下たちが部屋から出るのを見送り、彼女は男の方を向き、もう一度仰々しい仕草でスカートを持ち、頭を下げた。

「害虫駆除、完了でございます」


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