戒定慧(かいじょうえ)

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学び
仏教には人がついつい陥ってしまうことや、その解決のために必要なこと、目指すべきことなどが説かれており、あらゆる物事に通じる広さと深さがあります。

例えば今この記事を書いている私や、読んでいるあなたは、方法はどうであれ、何かしらの目的を達成しよう。という意思があるはずです。

目的といえば、些細なことからその人の人生観に関わる大きなことまで、大小さまざまですが、やはり人は幸せを求めて動く生き物なのではないでしょうか。

これまでは悩みや不安などから解放されて有意義な時間を過ごせるようにするようなお話をしてきましたが、今回はその道順のようなものをご紹介しますね。

仏教における三学
仏法には三学と呼ばれるものがあります。
これは悟りを得て、苦悩から解き放たれた真理へと向かうために説かれたものです。それぞれ

戒(かい)
定(じょう)
慧(え)

と言います。

悪を止めること
仕事であれば、不正な取引きやその場しのぎだけの作業。不必要なほどに長い雑談や愚痴などです。

誰かを欺いたり、自分だけが得をするような行いは、長続きするものではありません。上手くいっているように見えても、楽をした綻びがどこかで大きな亀裂を生んでしまいます。

愚痴話も同じで、それを建設的なものに昇華させることが出来なければ、意味はないのです。

もちろん、潔癖になれというわけではありません。

その場しのぎが精一杯である局面もありますし、適度な雑談は職場でのやり取りも円滑にしますので、要は溺れてしまわないことが大切なのです。

心を静めること
荒れた心を意識して、静めてみる。

すると、意外と自分でも気付かなかった見落としがあった事に気付かされるものです。

タイプミスや、予定、埋もれていたタスクなど。目の前の忙しさにかまけてしまうと、実は自分が盲目だったことに気付かされます。

間違った道を歩んでいたら、改めて予定を立て直してみると普段とはまた違う結果が出るかもしれません。

いまやってる事を正しく整えるからこそ定に至り、この2つのプロセスで自分や日々の行いを見直すからこそ真理に気づく慧を体得できるようになります。

真実に気付くこと
慧眼という言葉があります。

周囲の人が何を言っていようが、それに左右されることなく真実を見抜く鋭い洞察力を表したものです。

物事の表面だけではなく、その本質の部分を捉えた上で言動出来るようになるためには、戒と定のプロセスを踏むことが大切です。

悪の反対は正義であり、その正義にも時として杓子定規にならない柔軟さが必要です。

これを学んだ上での慧。

情報化社会という言葉が世に出て随分と経ちましたが、多過ぎる情報を見分けて真実を知る力は今の現代人にも必要不可欠な能力です。

具体的に体得するためには、日々の自己研鑽を怠らないことが、地道なようでいて一番の近道です。

ぜひこの戒定慧の三学を体得して下さい!

本日も最後までお読みくださり、ありがとうございます☆

◇今日の名言◇
一大事と申すは、今日ただ今の心なり。
正受老人(慧端禅師)


また、ココナラ電話サービスにて、悟りの体感共有を行っております。

仏陀=悟った人のことを言い「悟り」はお釈迦さまだけのものではなく誰もが悟ることができ、その悟りの体験者が「空」をわかりやすく説明します。

「空の体得」により「観自在(かんじざい)」と呼ばれる境地を体感していただきます。

 観自在とは字のごとく、観念=思考であり、 「(色々なものを)観察することが自在である」ということ。

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