時間とかおかねとか家族の理解とか
「○○がないから、できない。」ってあきらめてるそれ、
かなえられる道の地図渡されてても無意識に、みずから放棄してたりしませんか?
「おわり」のための準備じゃなく、望む「今」をつくるための【おひとりさま&おふたりさまの終活】をサポートしてるサイタはやっぱりきょうも思うのです。
ほんとうに本当にほんとーに、それでいい?
そのむかし
やりたいことをがまんしてたとき
「本当にほんとうにホントーにその理由、できない理由になる?」
って聞かれて、「なる」って即答してたサイタですが
それが思い込みだと気づいてから人生変わったひとりとして
そのままあきらめてるのもったいないよーと言いたくなってしまいます。
最近もご相談受けたとき、やっぱりそうだよな、、とあらためて感じました。
無意識にも本音押し込めてると、思わぬかたちで望まぬ出来事をさらに上乗せして引き寄せてしまうことがある。
日常でなーんかうまくいかないこと多いし、もやもやする同じ出来事繰り返してるきがするんだよな・・ってとき
心の奥にしまってるそれをかなえてあげるだけで全部スムーズに動き出すよ
の合図であったりする。
もしあなたもなにかを理由にがまんしたり、あきらめていることがあるのなら
容易ではない事情があるとは思いますが
ちょっと試しに、できない理由はいったん横において
「どうしたらできる?」にしばし集中してみませんか。
すると・・・
なにやら見えてくるはず。
したいことができる方法、かなえる道
ぜったいに
ありますよ!
かなえる道の地図、受け取ることさえ拒否しなければ
ぜったいに
できますよ!
毎日代わり映えなくても穏やかでいられるこんな日常がしあわせ
と心の底からかんじるのならそれも最高の幸せのかたちだと思うけど、
本音がそうじゃないといっているならあきらめる必要なんてない。
あきらめるなんてもったいない。
「どうすればできる?」って考え続けていれば必ず道が見えてくる。
かなえられる道にかならずたどりつけるから。
終活サポートしていても
常々おもいます。
自分の本音からの「どうしたい?」を無視せずに進めると
長年あたりまえにしていた問題やもやもやが意図せず勝手に解決しちゃうみたいな出来事おきだしたりする。
だけど
いろんな感情おしこめて無難に進めようとすると、どっかで心のつじつまの合わなさがひずみとなって表れてくる。
人生はきっとおもうよりもっとずっとあっという間。
だからこそ
これまでの常識とか
誰がこういうからとか
みんながそうしてるからとか
本当はどうでもいいそんなことをきにしてるうちに大事なこと見失ってしまうかもって気づくとこから、しあわせのむだづかいなくしてこ。
あっちにもこっちにも笑顔あふれますように。