こまったとき、しんどいとき
奥にしまい込んで見えなくなってるじぶんの本音に聞いてみるのもいいとおもう。
なにがあろうと、どんな日だろうと、望むあしたへつないでくれるはず。
不安からの行動じゃなく、しあわせな「今」をつみあげる心持ち応援したいサイタは、こころからだ環境のバランス調律する大切さとともに今日もやっぱり感じています。
じぶんの天命や使命ってなんだろう。
どうしたらそれはみつかるんだろう。
って
いっしょうけんめいに探せども、なかなか見つけられずなひとがいる一方で
使命なんてそんなたいそうなもの私にはないのよ。
今日一日を笑顔で楽しく過ごせたらそれでしあわせ。
って
意識も探そうともしてないのに、すでに使命に生きてるように見えるひともいる。
ところで、使命ってなんなんだろう?
終活という名の「想いの見える化」サポートしていて感じることがあります。
いいこともそうでないことも目の前にある現実を淡々と受け止めて
その中で「じぶんの本音」を大切に「望むこと/望まないこと」を選択しながら楽しめる部分に日々目をむけているだけの人ほど、ある日突然
「これこそが自分の役割なのでは?」と、気づいてなかった使命みたいなものに出逢うことあったりする。
その流れに身を任せ、無理なく新たなことへ進みはじめてみると生きるチカラ満ちてきて、
自分にだけじゃなくまわりにもそれが自然と循環し始めることがある。
「使命なんて私にはない」って言ってたひとほど、みちがえるほどの笑顔みせてくれる。
そしてあらためておもう。
使命ってなんだろう。
それはきっと
「だれもがかならず持ってる」役割分担で。
じぶんを笑顔にするための、そしてそこから誰かの笑顔につなぐための手段でもあって。
「たいそうなもの」と考えないほうが、みつかることも多くて。
ぼんやりとでも意識しておくとじぶんにもまわりにも「生きるチカラ」が循環する潤滑油ともなって。
「それに出逢うために生まれてきた」といってもたぶん大げさじゃなくて。
しんどいときも、どんなときにも、「生きるチカラの自然な循環」の中で守られる安心感を思い出すためにあるもの。
現時点で個人的にはこんなふうなのではないかなと、おもっています。
みんなにとってはどんなものなんだろな。。
人生はきっとおもうよりもっとずっとあっという間。
がまんなんてしなくてもいいし、りきむ必要もないし、
ただ自分の本音をないがしろにせず、他人の基準に惑わされずに
今はまだ出逢えていなくても楽しみに使命を待ちながら見つけに行けば
それがきっとしあわせの近道。
って、どこからともなくそんな声がきこえてくるよなきがします。
まだ見えてない自分の使命や役割なんて
本当にあるのか、信じられないよー
見つけれらるものならみつけたいけど
ってなんだかもやっとしちゃうとき
ほんとうは誰にでも必ずある、自分の使命や役割見ないふりしていないかな
じぶんにとって「もっとらくにしあわせ選ぶ権利」、みずから放棄していないかな
って確認してみることからも、しあわせのもちぐされなくしてこ。
きょうもすてきなひとときを。