ども、ずーです。はい、生い立ちシリーズ3回目です。
中学では軽くいじめられ、若い先生を見下して乗り切った話でした。ひねくれていましたね。それでもいいんです。今元気で楽しいので。人生楽しんだもん勝ち。
さて、高校生になりました。
一年生の冬。父方の母(祖母)が亡くなります。
それまでの父は母に出ていかれ離婚をしながらも母方の両親との同居を形だけですが保っていました。(ほぼ家には帰りませんでしたが)
しかし、実の母が亡くなり緊張の糸というか義理というしがらみが切れたのでしょう。
お付き合いしていた彼女と暮らすようになりました。彼女には連れ子が居ました。
私たち本当の子供たちには生活費も学費も入れなくなりました。
私はバイトをして学費と高校までの交通費と自分の食費を稼いで暮らし居ました。
一緒に住んでいる祖父母は孫に関心がなかったのか、父から仕送りがあると思っていたのか私たちにかかわることはほぼ無かったです。
でも、住む家と光熱費、米は父か祖父母が負担してくれてたようで贅沢は出来なかったけど何とか高校を卒業することができました。
その当時からドラマや漫画などで不良ものが流行っていました。「不良少女と呼ばれて」「ヤヌスの鏡」「ビーバップハイスクール」「ホットロード」など。
流行に乗って制服を改造したりパーマかけたり化粧をしたりする子たちもいましたが本物はたいてい家族関係が良くないというイメージが先行していてそういう格好をする子たちは必ずと言っていいほど片親だったり親が居なかったりするのだと思っていた人たちが多かったですね。
私も両親がいないという理由でお金を扱うお弁当屋やスーパー、コンビニのバイトには雇ってもらえませんでしたから。
バイトは朝だけ新聞配達をしてました。
私の見た目はいたって普通。
というか真面目過ぎるくらいでした。
伸ばした黒髪は後ろで黒いゴムで一本にまとめ、制服は購入した時のままいじることなく黒縁の眼鏡をかけて。
制服をいじったり、パーマや化粧なんてお金も手間もかかることが面倒なだけでやってるヒマがあったら好きな絵を描いてる方がよっぽど心が安定していられました。
その当時、絵を描くなんて「オタク」と呼ばれて馬鹿にされたりもしていたんですけど、私にそれをやめて勉強をするように言う人は一人もいませんでしたから自由でした。
で、そんな服装髪型は手をかけず机にむかって一心不乱に何か書いてる私を遠巻きから見ている大人は「両親がいないという不遇な生活なのに真面目な良い子」と思ってくれてたんです。
なにか文句や愚痴を言うわけでもなく、学校も新聞配達のせいで遅刻はしてましたが事情を知る先生方は「遅れても来るのは立派」と思ってくれたのか遅刻を咎められることはしないし一度何かの罰で一人廊下掃除をやらされた時には「一人で掃除?えらいわ。立派よ」なんてお褒めの言葉を頂きました。
一部の生徒から「なぜ同じ悪いこと(遅刻や掃除をサボったり、自習中に漫画を読んだり)をしてるのに自分たちはきつく叱られて、あんたは叱られないのか?」と言われたときには仲の良かった見た目不良(良い子でしたよ。タバコ吸ってり暴走族の彼氏がいたりしたけど)の女子生徒がかばってくれたり私が教室で泣いたりしてると普段話をしないような別の不良生徒とが心配してくれたりしました。(その頃にはうちの事情がクラス中に知れ渡った頃ですね)
ただただ、いろいろ目立とうとするのが面倒なだけで「普通」にしてただけなんですが、それが「不遇の中でも健気に頑張っている子」と見えていたんでしょう。
特に否定することなく「普通にしてるだけです」と言いながら、(普通にしてれば褒めてくれるんだ。大人ってチョロい)とか思ってる、やっぱりひねくれてるガキでしたね。(笑)
朝は新聞配達で忙しかったのですが、夕方のバイトはどこも雇ってもらえず暇でした。家で兄弟たちの晩御飯を作ることもしてたのですが、材料を買うお金もなかったのであまりしていませんでした。
そんなこんなで私は演劇部に入ります。この演劇部で人の心理的なものを考えるきっかけができたように思います。高校生演劇ではありましたが役の生い立ちや立ち振る舞いはどういう感情でどこからくるものなのかそういうのを考えみんなで話し合い一人一人の役、ストーリーの理解、場面を組み立て、アドリブの動きやセリフをすり合わせていく。これが私が心理学に興味を持った最初でした。
高校卒業はあまり哀しくありませんでした。ちゃんと働いて生活費を稼いで、早く一人暮らしがしたいと思っていました。
今考えればちゃんと私なりに青春してたなって思います。その頃はいつ辞めてもおかしくない。でも、やめるのも面倒だしって思って「高校だけは」とか「学歴が」とか全く考えていなかったんですけどね。
やっぱり普通の人とはちょっと感覚ずれてますよね?
愚痴聞き、お悩み相談お受けいたします。