ども、ずーです。ご無沙汰してます。
いきなりこんなタイトルですが、これは私の話です。
メンタルトレーナーとして仕事してますが私、自分はかなり癖のある人間だと思います。
私がメンタルトレーナーになった経緯を書かせてもらおうと思います。
まずは子供のころに遡ります。
私の母は私が8歳か9歳ごろに家を出ていきました。母は友人の借金の保証人になってしまい、それを父に言い出せなくて自らサラ金に手を出して逃げるように他の男性とどこかへ行ってしまいました。残ったのは借金と母の年老いた両親、父、私含む子供3人。父は初めは母の作った借金を返していましたが、私が高校入学と共に家を出、彼女とその連れ子と暮らしは始めました。私たちの生活費や学費は入れてもらえませんでした。母の借金が発覚した時から父は私たちにわからないように母に暴力を振るっていました。普段はおとなしく優しい人だったのですが、自分のせいではないのにこんな苦しい生活にストレスをためていたのかもしれません。母は友人の頼みを断れなかった優しくも弱い人間だったのかもしれません。
そんなこんなで私は子供時代から不遇の人生を歩んできました。(私より過酷な人生を歩んできている人たちがたくさんいるのは知っています。自分が一番不幸だなんて思ってません。)
子供のころ私は「こんな生活送ってるのは自分のせいじゃないもん」と思いながら生活してました。母親が友達と思っていた人物に騙されるバカな人間だった。父親は自分の子供より他の子ども(彼女の連れ子)を育てる人だった。「血は何よりも濃い」なんて誰かが作った妄想。血族を縛りつける呪縛。
こんな生活の中私の性格はちょっと歪んだのかもしれませんね。でもだからこそ今の私があるので歪みを無理やり正そうとか思ってません。
━ 素直で真っ直ぐで明るくて朗らかで ━そんな人が嫌いでした。うらやましくて自分にはないものを持っていて嫌いでした。
でも、歪んだままの自分で他人に迷惑かけることなく好きなことをできてる自分になることができて、そんな素直で優しい人たちも受け入れられるようになりました。
人間は真っ白な人はいないけど真っ黒な人もいない。皆どこか不完全で濁ってる。それでいい。綺麗なものばかりじゃなくていい。グラデーションがあるほうが味がある。
今はこの両親のおかげで好きになったものもあるなと記憶のかけらを集め出しています。
バスケットボールは父が中学で部活に入っていました。マンガの影響で私がバスケットボールが欲しいとねだったらゴム製の安いものを買ってくれました。ラジオが好きだった私は部屋でも聞きたいとポータブルラジオをねだった時も買ってくれました。父が具合が悪くて食べられなくても外食の約束をしていた時連れて行ってくれました。借金が発覚した後だったので痛い出費だったと思います。
母も洋裁が得意だったのか、小学校入学の時はお手製のトートバックを作ってくれました。まだ家には足踏みミシンがありました。着物の着付けができる人で七五三やお正月には着物を着せてくれました。私が着物に興味を持ったのは母の影響ですね。
親が嫌いでも自分が好きなものは否定したくない。別に「これは親が居たからだ」と感謝するわけじゃないけど肯定するぐらいはできる。否定せずに自分の好きなものは好きって言えるくらいには親の存在を許してる。
数か月前に父が亡くなったと知らせを受けた。特にショックでもなかった。ずっと一緒に暮らしていた彼女さんがトイレで倒れているのを見つけ救急車で運ばれたがすでに息はなかったと知らされた。遺骨は私含め兄弟は受け取りを拒否した。彼女さんも受け取りを拒否した。父は地域で管理する無縁仏の墓で眠っている。特に墓参りに行く気もない。
母はまだ健在だが知り合いの話を聞けば「金の亡者」だ。生活保護を受けているが肺が弱いらしく病院通い。でもヘビースモーカーだ。どうしようもない。勝手にやっててくれ。
こんな私を愛溢れる人が見たら、「親が居たから今のあなたがいるのよ」と説教するかもしれない。言っとけ。
こんな私でも子供を育て上げた。もちろん何不自由なく完璧になんてことは全然ないのだけれど。子供の人生を「あーしろ。こーしろ。」ととやかく言う親にはなってない。「母も自由にできるだけあなたには迷惑かけないようにするから、あなたも勝手に好きなようにやりなさい」と言っている。
これで充分。子供に感謝されなくてもいい。子供が自由に好きなことをしてくれてればそれでいい。私がそうだから。
親は大切にしなさい。そう素直に思えるくらい大切に育ててもらったと思える人はそれでいい。でも、そんなに簡単にそう思える人ばかりじゃないってことを知ってる。
そんな人たちの心が少しでも軽くなればと思っています。
嫌いな人がいてもいい。それが親でもいい。
その他に感謝できる人、モノがあれば尚良き。
愚痴聞き、悩み相談お待ちしてます。