ふと昔のことを思い出しました。
中学生の頃、先生に誤解されて怒られたことです。
今回はその「小さな傷」をヒントに、お話ししてみようと思います。
【誤解されたあの日】
吹奏楽部での練習中。
先生から熱のこもった指導を受けている時、私は
「今、何時だろう。あと何回合わせられるかな」と思い、
腕時計にチラッと目をやりました。
その瞬間、先生の目に映った私は――
「早く終われと思っているんだろう!」と、
怒りの矛先を向けられてしまったのです。
「違う!」と心の中で叫びながらも、
剣幕に押されて言葉を飲み込むしかありませんでした。
【傷からの気づき】
誤解されたことで、理不尽さを感じました。
訂正できなかったことで、自分の思いを伝えられないもどかしさを知りました。
当時はただ辛かったけれど、今振り返ると――
この経験が「表面だけでなく、その奥にある本質を見つける力」へとつながっているように思います。
【傷から生まれた強み】
私は、誤解された経験があるからこそ、
人を一方向からではなく、多角的に見るようになりました。
言葉だけでなく、視線や雰囲気、場の空気。
そうしたものを感じ取りながら、相手の態度や発言の背景を受け止めようとしています。
そして、相手が安心して言葉をつむげる空気をつくることも、
私が大切にしていることです。
【さいごに】
「傷ついた」「悲しかった」
――それで終わらせてしまうのは、ちょっと勿体ない。
すぐに見つめられなくて良いんです。
時間が経ち、痛みが少し和らいだとき、
「その経験から何を学んだのか?」
「自分にどんな強みが加わったのか?」
意味を見つけることが、今を生きる大きなヒントになると思います。