火垂るの墓を歩く会に参加しました。

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火垂るの墓を歩く会に参加して

先日、『火垂るの墓』を歩く会というウォーキングイベントに参加してきました。

『火垂るの墓』はスタジオジブリのアニメ映画として有名ですが、野坂昭如さんの同名の小説が原作となっており、その小説は野坂さんが実際に体験されたことから着想を得て書かれています。

ウォーキングコースは『火垂るの墓』の舞台の一部でもある西宮市の苦楽園から夙川まで。

『火垂るの墓』は太平洋戦争の中でアメリカ軍が行った神戸やその周辺地域に対する無差別爆撃(神戸大空襲)の様子が描かれており、戦時下に必死に生き抜こうとする二人の兄妹の様子が描かれています。

映画では冒頭のシーンが神戸の中心部であり私も時々利用するJR三ノ宮駅であることは記憶に残っていましたが、西宮も舞台の一部であったことは記憶から薄れていました。

主人公の清太と妹の節子が空襲に遭い、親を失い、身を寄せたのが西宮にある親戚のおばさん(ちょっと意地悪で冷たいおばさんとして描かれている)の家であり、おばさんの家を出て防空壕に二人で避難するのも西宮なのだそう。

西宮に建てられた火垂るの墓の記念碑含め、実際に映画で描かれたスポットをいくつか見て周りました。

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西宮のおばさんの家は住宅が建ち並ぶエリアにありますが、今はそこだけぽつんと空き地になっていました。

あぁ、あのシーンがここなんだなぁと映画の映像と重なる瞬間があって、まるで目の前に清太と節子の二人が無邪気にはしゃいでいるようでとても感動しました。

実際に野坂さんが体験した出来事と、小説・映画の内容は違っており、実は西宮のおばさんとはそこまで関係は悪くなかったし、そんな意地悪でもなかった、とか、実際の妹さんの年齢は節子よりも若く、妹を餓死で死なせてしまった贖罪の気持ちから、物語が生まれていったのだ、ということなどガイドさんからお話を聞くことができました。

物語の中で、清太が一生懸命に節子を支え、暗い時代にいながらもユーモアを見失わずに生きようとする姿も、野坂さんが妹さんにもっとこうしてあげたらよかったという想いが描かれていたのだな、と感じました。

取り巻く環境がどうであれ、どんな瞬間も幸せや喜びを感じる心を見失わずに生きようとする二人のシーンはものすごく大切なことを訴えかけているように感じます。

火垂るの墓を歩く会に参加して、もう一度映画を振り返りたいなと思ったし、西宮のコースだけでなく御影コースもあるそうなのでまた参加できたらいいなあと思いました。


辛い体験と向かい合うこと

ガイドを務めてくださった方は、神戸や日本各地でアメリカ軍から受けた空襲による無差別爆撃は、法に定められた戦争のルールから逸脱するような非人道的な行為ではなかったのか、戦争犯罪になぜ問われなかったのだろうか、というようことも話されていました。


一体なんでこんな惨いことが許されるのだろう…。


実は私自身もまた、今年に入ってから世界情勢が不安定になり、闇が増していくのとシンクロするように、非道とも思えるような問題に苦しめられ、身動きがとれなかったんですよね…

とても苦しくて、恐ろしいと思うような体験をしたときに感じたことは、この体験を誰かに安心して話すことができたらどれだけいいだろう、ということでした。

実際はそれをすることが知られることで、また何かされてしまうのではないかという恐怖で、話したいことを思いっきり話すということが難しかったのですが…

それでもサポートしてくださった方々がたくさんいたおかげで、若干トラウマを抱えながらも前に進んでいくことができるようになってきました。

苦しくて、恐ろしくて、怖かったこと。

それをただ聞いてほしい、話したいと思う欲求ってとても自然だなぁと思います。

とても怖かったんだ…

そんな風に言葉を自由に発することができて、ただそばで受け止めてくれる存在がいるって大きなことだと改めて感じました。

だからこそ、誰かが同じように、ただ知ってほしいと思う気持ちで私に打ち明けてくれることがあるのなら、その想いに真摯に寄り添うことができたらいいなと感じています。

『火垂るの墓』を観て、感じたことをなかなか上手く表現はできなくても、あの時代に懸命に生き延びようとしていた戦争孤児がいたことや、多くの命が奪われて、とてもとても恐ろしい経験をした方がたくさんいるのだというその事実や、そこにある「怖かった、苦しかった、悲しかった、恐ろしかった」という語られてはいなくてもきっと胸の中にあったはずの想いに少しでも寄り添えたら、それがそこに関わる方たちの鎮魂になるのではないかな、そんな風にも感じます。

そういう意味では物語を通して、人々を戦争・争いという直視するのも苦しいような悲惨な出来事とも向き合うことができるようにサポートする作品の役割ってとても大きいと思うのですよね。

そういう作品を生み出せる人は、作家でありながら、シャーマン的な役割があるような、そんな気がするのです。

今や世界中で『火垂るの墓』が注目されており、YouTubeでも外国人がこのアニメの感想を語る動画がアップされたりしているけれど、こうした作品を通して、より平和への意識が高まったらいいなと願っています。



シャーマンや癒し手として

今まで生まれ育った神戸の街やその周辺の都市についてシャーマンやライトワーカーとして私ができる範囲の浄化のお手伝いをさせていただいていましたが、今回は火垂るの墓を歩く会に参加しながら、初めて大空襲という部分にフォーカスした人々や土地の癒しのお手伝いをさせていただきました。

恐ろしい体験の癒しをお手伝いさせていただきながら、私自身、幼い頃の自分やその当時の家族が封じてた心の苦しみ、悲しみ、孤独の癒しをすることが必要だということにも気づけました。

私の中にも、言葉にしておらず、封じ込めることで誰にも寄り添われることのなかった苦しみがまだまだあったのだなぁということに気づけたのです。

自分や家族を癒すようにこれからも癒しのサポートができたらいいなあと思いました。



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