HSP(繊細さん)という言葉が流行ったのは、もう数年前。
人口の約20%もの人が該当する、超過敏で生きづらさを感じている人たちのことを「繊細さん」と可愛らしく呼ぶことで、多くの共感が産まれた。
SNSで「私はHSPです」という告白コンテンツが流行し、「こういう症状で辛かった」と語る人が多く、まるで一種の病気みたいに扱われていたような記憶がある。
一方で、何事も察知する能力の高さが、ビジネスシーンにおいてリスクマネジメントになりえるとか、共感能力が高さが人脈を得るのに有効だとか、HSP(繊細さん)の強みについても語られるようになった。
五感の敏感さについては、自然やアートを人よりも深く味わうことができ、小さなことに喜びを見出しやすいとして、生きる上で幸せをより感じることができるとされている。
言いたいことは解る。
「しんどい部分もあるけど、裏を返せば、それはあなたの魅力でもあるんだよ。」
ということだろう。
そういうと、収まりが良い。
HSPという流行りのコンテンツを取り扱う上で、功罪をうたった方が参入者が納得しやすいだろう。
だから、社会の風潮がそうなのは仕方がないと思っている。
でも。
HSP当事者の私の考えは全然違う。
家のルーターが故障して、にっちもさっちもいかなくなったとき。
悩んだ末、生活に差し障るので近所の巨大ショッピングモールにある家電量販店に駆け込むことに決めた。
普通の人ならいざ知らず、HSPのわたしはまるで戦場に行くかのような気分だった。
ショッピングモールの自動ドアが一歩開いた瞬間から、五感への容赦ない攻撃が始まる。
どこかの化粧品売り場や飲食店から漂ってくる、いろんなものが混ざり合った強いにおい。
大勢の人が歩くことで、ショッピングモールの地面が微かに、でも私にとってはハッキリと不快に揺れている。
そして、高い天井に人々の話し声や足音がガヤガヤと反響して、まるで頭の中に直接爆音を流されているかのように耳がおかしくなっていく。
やっと家電量販店についたと思えば、まず入口にある巨大モニターが放つ目がくらみそうな光の矢を浴びなければ奥へ進めない。
先に進めば進むほど、各コーナーに設置された呼び込みの音声が重なってわんわん響いてくる。
ルーター売り場探すけど、色んなポップや広告で目線が安定しない。
「早くルーターを買って、ここを出なきゃ」
そう焦れば焦るほど、神経がすり減り、ついに途中で足がすくんで動けなくなってしまった。
めまいと吐き気、そして圧倒的な恐怖感。
結局、自力で帰ることもできず、家族を呼んで助けてもらい、命からがらタクシーに乗り込んで帰宅した。
家に帰り着き、外の音やにおいが気になるから窓も開けられず、薄暗くした静かな部屋で横たわりながら、私は激しい自己嫌悪と絶望に襲われていた。
「これのどこが、素晴らしいギフトなんだろう」
アートに感動できるとか、人の気持ちが察せられるとか、そんな「誰かの役に立つ強み」なんて、1ミリもいらない。
ただ普通に、一人で買い物に行って、普通に帰ってこられるような、そんな「鈍感な体」が欲しかった。
生きているだけで、どうしてこんなに傷つき、ヘトヘトにならなきゃいけないんだろう、と。
人によっては「まるで理解できない。」「大袈裟」と言いたくなる人もいるだろう。
実際に家族も心から寄り添ってくれたというよりは、少々面倒くさそうだった。
そんな人が心底羨ましい。
だからこそ、私はココナラで「癒やしの研究家」として活動しているけれど、「HSPは強みです!前を向きましょう!」なんて綺麗な言葉は絶対に言わない。
私がここで作りたいのは、戦場のような毎日を生き抜いて、命からがら逃げ込んできたわたしみたいな人が、そのまま泥のように横たわれる避難所なのだ。
「鈍感に生まれたかったよね」
「毎日、生きているだけで本当にお疲れ様」
そう言って、誰にも分かってもらえなかった微細なつらさを、ただただ丸ごと分かち合いたい。
「そんな些細なこと」なんて、私は絶対に笑わない。
「どうして私はこんなに疲れちゃうんだろう。」
「疲れる自分が歯がゆくて仕方ない。」「どうしたら楽になれるの?」
「解って欲しいのに、解ってもらえない。」「悲しみでいっぱい。」
そんな風にまとまらない心のままで大丈夫。
張り詰めた心の糸を、そっと緩められたら本望だ。
最後まで読んでくれてありがとう。
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