今、休職をしている君は辛いでしょうね。
自己肯定感が地の底に落ちているでしょうね。
頑張ったのに。
だれよりも頑張ったからこそ、もう一歩も進めない。
起き上がれない。
お先真っ暗で、何もする気が起きない。
人生に負けた気がする。
部屋も片付けられない。
栄養のあるものも食べる気になれない。
君が悪いんじゃない。
むしろ、休職という道を選べた君は偉い。
ギリギリまで頑張って、それでも自分を大切にする道が選べた。
こういう苦しい時期が人生にはある。
今は休んで、時が来たらまた動けるようになる。
ここでいう『君』は私の長男タロウのことです。
先日、小さな声で電話してきました。
「来月末まで休職します。社宅を出ることになったら、引っ越し費用を貸してください」
言いにくかったでしょうね。
「うちに帰ってきてもいいよ。困ったことがあったら言いなさいね」
それだけしか言えませんでした。
タロウは就職して4年目です。本当に頑張ったのだと思います。
私も若いころ同じようなことがありました。
私が就職したのは1990年、バブルの終わり頃でした。就職先はよりどりみどりで、受ければ内定が出ました。
そんな社会情勢だったので、たいして考えもせずに就職先を選びました。
好景気はずっと続くと思っていたのです。
会社に入ってからも、20歳の女子社員は甘やかされていました。負けん気が強かった私は社内キャンペーンで表彰されたりして、調子に乗っていました。社内研修にも積極的に参加して、上司にも「できる子」アピールをしていました。
2年目には、大抜擢されて新しい課の課長補佐になりました。やりたい仕事ではなかったものの、爪痕を残そうと必死で働きました。1ヶ月に、20日以上出張を入れた月もありました。
今だから言いますが、能力以上の評価をもらおうと、必要以上に短いスカートで出張に行ったこともありました。使えるものは何でも使うくらいの気持ちでした。
3年目の終わりに、過労で倒れました。頭痛で頭が割れそうで涙が止まりませんでした。
次の年に、私は元の部署に戻ることになりました。
あれほど戻りたかった場所でしたが、私はもう新入社員ではありませんでした。
この場所で役に立つ人間だと思われなければ…と必死でした。
食事がおろそかになり、170センチの身長で、体重が50キロを切りました。生理も止まりました。
それでもなんとか、人が面倒くさいと思う仕事を率先して行い、部下には厳しく指導しました。あのころ部下だった人たちは私のことが大嫌いだろうと思います。他人のことを思いやる余裕がなかったのです。
次の年の春、新入社員の教育係を任されました。7名を指導して内心青ざめました。
新入社員の質が異様に高かったのです。ハキハキしていましたし、予習復習は当たり前でした。言葉遣いは丁寧で、考え方もしっかりしています。
就職氷河期のため、バブル期に入社した社員とは比較にならないほど優秀な人が入っていました。
これは勝負にならないとはっきり自覚しました。
25歳でした。母親に「お見合いをしたい」と相談すると、張り切って縁談を持ってきました。結婚相談所にも登録しました。
そして見合い結婚をして今に至ります。
私は休職という制度を知りませんでした。
その代わり「寿退社」という錦の御旗がありました。
胸を張って話すほどの事ではありませんが、30年前、あなたの母も頑張って苦しんで、逃げてここにたどり着きました。
苦しかったら逃げてもいい。休んでもいい。
何年後、何十年後かにあの時は苦しかったなあと思い出せる時がやってきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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