この道を選んだ理由

この道を選んだ理由

記事
コラム
自分がこんな道に進むと思っていませんでした。
お金を稼ぐためだけに働くなら、もっと他の
もっと割のいいやり方があるはず。

でも、自分はこの道を選びました。


動機はなんとなく



作業療法士として医療や介護に携わることに
正直、これといった動機はありませんでした。

資格があれば将来安泰だし、
血を見るのは苦手だから看護師さんは無理だし、
医療職だし、人と話すことが好きだったので
リハビリなら自分でもできるかな

そんな軽い動機でこの世界に入りました。

勉強は大変でしたが、仕事はやりがいがありました。
やはり、元気になっていく患者さんや利用者さんがいるのは嬉しいです。

でも、逆パターンも多くあります。

「もう良くならないからリハビリしても意味ない」
「もうなにもしたくない、できない」
「生きていても仕方ない」

そんな言葉も日常的に聞かれます。

自分で動けない、歩けない
自分で食べれない
自分で排泄もできない
話すこともできない

今まで出来ていたことができなくなるほど
絶望的なことはないです。


自分が同じ立場になったらと考えると
やっぱり同じような気持ちになってしまいます。
それは医療職でもやっぱり人間ですから。



そんな方々の少しでも力になれることはないか
日々勉強させてもらっていました。

やはり、支えてくれる人の存在は大きいです。
それが親族であろうと
他人であろうと
「あなたが必要」という言葉は
生きる気力になります。



祖父母の介護と父の急死


仕事、子育てしながらも、実家が大好きだったので、
結婚してからもしょっちゅう実家に帰ってました。

実家には父方の祖父母、父母がいました。
結婚する前は子供も私を含め3人いたので7人家族の大家族。
父は公務員で休みの日は兼業農家として家族を支えてくれました。


田舎ということもあり、祖父母は昔から男尊女卑。

食事は家長の祖父が一番に手をつけ
風呂も祖父が入らないと誰も入ってはいけませんでした。

母を小間使いのように扱っては、生活費も十分には入れず、
父母が全てまかなう状態が私が生まれてからもずっとだったと
母から聞きました。

母が臨月だった時に、祖父母は海外旅行に行っていたため、
2時間ほどかかる場所に住んでいた母の祖母が泊まりに来てくれていたとか。

父母は子供を否定することなく、常に味方でいてくれ、
忙しい毎日の中でも、よく遊びにも連れて行ってくれました。

今、子供の頃を振り返っても、いつも嫌な顔せず、否定せず、受け入れてくれる父母は大好きでした。

反対に祖父母に対する気持ちはそこまででした。

そんな祖父が体調を崩し、介護が必要な状態に。

祖母が全く人ごと(むしろ、祖父のことを汚い・気持ち悪いという始末)だったので
母が献身的に介護をしていました。

私は介護についての知識があったので、自分も帰ったときは手伝いました。

ただ、毎日の介護で父母は疲弊していきました。
食事介助、入浴介助、排泄・・

祖母は祖父ばかり構う父母にかまってほしかったのか
気を引こうと自分の体調不良を大げさにアピールしたり、
急ぎの用事でもないことを父母に押しつけたり
よく関西の田舎で使われる「いらんことしい」でした。

より父母の疲労は限界となり、家の中はいたたまれない空気になることも
珍しくなかったです。

なんせ不定愁訴(気持ちからくる身体のしんどさ。原因のない腹痛、頭痛、吐き気、全身の痛みなど)が激しかった祖父のために

1週間に3.4回ほどは車で30分ほどかかる病院まで何度も受診に行っていました。この頃は母もパート、父も仕事をしながら・・・



施設や介護サービスの提案も毎回のようにしていましたが、
祖父母は当たり前のように断り、嫁が世話をすることという考え。


今、考えれば、父母も判断力が低下していたんでしょうね。

田舎なので、施設に入れたら、周りの目が・・
不仲である父の妹二人に何をいわれるか・・
自分たちが頑張ればいいこと!

そういう理由から母や父に受けれてもらえませんでした。

祖父は93歳で逝去。
約8年ほど父母は献身的に介護をしてきたのにも関わらず
葬式では父の妹二人に「遺産泥棒・介護虐待」といわれる始末。
祖母も父母に生活費を渡さないのに、妹二人は可愛がり、
妹二人もお金をせびりに来ていたようで
しょっちゅうお金を渡していたようです。
祖父の年金はほぼ二人に渡していた状態。



昨年祖母より先に父が他界。体調が崩れたと同時に余命1ヶ月宣告でした。
父の意志を尊重し、医師に無理にお願いして退院させてもらい、1週間だけでしたが、自宅で看取るため、自分もつきっきりで介護をしました。予想はしていましたがやはり在宅介護は壮絶。

在宅介護しながら父の弱っていく姿を見てきました。
「弱る」といっても「静かに、動かない」のではありません。

痛い場所をさすってほしい
気分が悪いのをどうにかしてほしい
息が吸いにくいのを助けてほしい
便が出そうなのに出ないのでどうにかしてほしい
ただ、何もしてないのにしんどい
しんどすぎて眠れない
寝てもすぐに起き、不安だから声をかけてほしい

24時間介護というのはいつ、容体が急変するかわからず
介護者も気が抜けない
本人も、どうにもやり場のない身体の辛さ、気持ちのコントロールができない状態。頼るべきは介護者。

思いやりなんて余裕はない。
思った時に、思ったことを、思ったまま、ただ伝える。
会話ではなく、心と身体の叫びをただ吐き出す。

母も全て受け入れ、父のために24時間、つきっきりで介護をしてくれました。

最期は母、私を含めた姉弟、大好きな孫達に見守られ、本当に眠るように
すーっと旅立ちました。



現在祖母は99歳。まだ元気です。認知症の影響で、同じ事を繰り返し、訳のわからないこともしょっちゅうですが足腰はまだ元気。カートを持って歩けます。

ようやく母が重い腰をあげてくれ、祖母の施設入所が決まりました。
母は時間ができると祖母の面会にいきます。
自分がひどい仕打ちを受けていたのに
『最期までちゃんと看てあげないと』と本当に献身的。

母には本当に頭が上がりません。子供に対してもストレスで毒づくようなことなど全くなく、ただただ、肯定的に育ててくれました。
そして父母ともに尊敬だけでは言葉が足りないくらい。
そんな父母を誇りに思います。

ずっと感じていた違和感


私は祖父の介護の時から疑問に思っていたことがありました。

なぜ、介護する側ばかりがこんなに辛い?
なぜ?母ばかりがこんなにしんどい思いをしないいけないの?

実際、介護される側も辛いと思います。自分の身体や心の機能が失われていくのは本人でないと想像できません。
ただ、手厚い医療、介護制度、サービスはあります。
その状態を少しでも緩和するよう様々な方が努力してくれます。

では介護する側は?
誰がサポートしてくれるの?
サポートする側の生活を支えてくれる?
サポートする側のつらさは誰がわかってくれる?

自分の時間や睡眠時間も確保できず、
精神的、身体的な疲弊もストレスも自分管理。
だれも管理なんてしてくれない。

ケアマネージャーさんも、もちろん親身に対応してくれます。
レスパイトやショートステイ、デイサービスやヘルパー利用など。

でも足りない。毎日聞いて欲しい、今、この瞬間もしんどい。

母を見ていて思いました。

しんどいのに頼れない
しんどいのに弱音を言えない
自分ができないと全てが終わる
自分が倒れるわけにいかない
病気になっている余裕もない
しんどいことすらわからない

母と一緒に介護をしてきて
自分の疲労がわからないくらい
自分のことが後回しになってしまうんです。

それが「当たり前」だから
「そうしないといけない」から




だから私が
『介護している人、誰かを支えている人を支えたい。』

介護の事情だって、自宅環境だって、家族関係だって、
千差万別。
サービスで行き届くのであれば十分。
でもそれだけじゃ足りないって思う人も多いはず。

これをきっかけに、心理カウンセラーの資格を取りました。

物理的な負担の軽減はケアマネージャーさんや地域包括支援センターの方にお願いできると思います。

気持ちを受け止める場所ってどこ?
もちろん、サービス担当者の方はみんな受け止めてくれる。

でも、今、聞いてほしい。
「今、忙しいですか?」って聞かなくても聞いてもらえる。
私のためだけに聞いてほしい。
話してストレスが余計たまる人には話したくない
わかってくれる人に聞いてほしい
経験のある人に聞いてほしい


そんな思いのある人の「支え」になりたい。

そんな気持ちで始めました。


患者さんや利用者さんと話す時
リハビリの時間だけでは短すぎます。

ゆっくり、話を聞いてもらいたい。
話せてよかった。
すっきりした。

そんな言葉を聞くと
私も嬉しいです。



今の私のできること
ちょっときいて!という人の話を聞いてあげたい。
自分の知識が何かの役にたつならば、アドバイスしてあげたい
介護にたずさわる人の心と身体が少しでも軽くなってほしい

抱えていることを吐き出す場所になりたいと思っています。

ブログを読んで頂きありがとうございます。

あなたや、周りの方で
困っているのに、我慢している人はいませんか?

是非、話を聞かせてください。


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