こんにちは、ネネ姉さんです。
今回は、自由に生きるってなんだろう?という話をちょっと掘ってみたいと思います。
例えばある会話のなかで
◯宇宙人っていると思いますか?
という質問をされたとします。
いるよね、いや、絶対いないよねという話でまわりが盛り上がっている時に
◯そもそも太陽系は10億年前には…
◯生命体はタンパク質から成っているから…
と、「いるorいない」以前の話をし始める人っていますよね
Aか?Bか?と二択で聞かれているのにもかかわらず、Cとか、Xみたいな答えを出してしまうわけです。
場が白けちゃうよね、とか、空気が読めていないよね、とか
そういう「雰囲気」が出てしまうと、やっぱりこういう発言は浮いてしまう傾向があるのかな、と思います。
質問がこうだったらどうでしょうか?
◯宇宙人とお化けって、どっちが怖い?
この場合は、
いや、両方怖くないし、そもそも存在しないでしょ
とか、宇宙人は好意を持っている場合もあるかもしれない、とか、
いろいろと自由な話題で盛り上がれますね
こんな風にお題によってはどんな人も自由に、自分の思ったことを喋ってもいいってこともあります。
わたしたちは、何気ない会話をしていても常に、
場の空気
その場にそぐわない発言を、自分はしていないか?
周りの人は、自分をヘンだと思っていないかな?
と、意識しているにせよしていないにせよ考えているわけです。
当然ですが、意識しすぎるとなんだかきゅうくつだし、悩んでしまうものですよね。
さて。
ここからは、私の今までに出会ったなかで、断トツでいちばん自由だ!これ以上の自由はない!と思った、それでいて素晴らしくポジティブな発言のことを話してみたいと思います
ある9月の朝、1限の講義室。授業は英語。
先生が、夏休みも終わったねえと雑談を始めたところから、小学校の夏休みの宿題の話題になりました。
宿題って、早く終わらせてた?それともギリギリでまとめてやってた?
という、よくある話題ですね。
私は、うーん、わりとギリギリまで終わらなかったな、と。
そして後輩のO君は、俺はわりと早かったっすね、と。
私:漢字ドリルとかああいうのはさ、手伝ってもらったりして一気にまとめてできるんだけど
O君:ドリルはわりと作業っすよね
先生:読書感想文は?
私:そうそれ!時間かかるからそれだけは夏休みの最初に本読んで書いてたよ
先生:本を最後まで読むっていうのがね、あるからねえ
O君:俺読まなかったっすよ、架空の本で感想文書いてたから
架空の本!?!?!?
O君:架空の作者の架空の本をお題にして感想書いてました
O君によると、本を読まないといけないのが面倒なので、
架空の本をお題にすると読む手間が省けてとても早く済んだし、やりやすかった、と。
しれっと言うのですが。
普通はあんまり思いつかない方向性かと思います。
時間がなかったので、O君がでっち上げた「本」の内容とタイトルを聞けませんでしたが、聞いてみたかったです。今でもすごく気になります。
ここで、いや、本を読まないとダメでしょ、
と言うツッコミもあるかと思いますが
先生が、そのでっち上げに気づかずに感想文を読んで、なるほど!と評価をしたとします。
誰も損をしていませんね
これは、良いことか、悪いことかではなくて
O君は堂々としていてたくましいなあ
と私は思いました。
あの人はこうしろって言うけど自分はこうしたい
あの人の言うとおりにしたくない
決められたルール通りに動くのは本当はいや
多くの人がそう思い、でも仕方なくまわりに合わせてしまうもので、そこで悩んだりするんじゃないでしょうか?
自由人、あの人は自由だな、と言われるのは多少ネガティブなイメージもあるし、自分が自由人になるのは勇気がいることです。
ただやっぱり、自分が自分でどう思うか、率直に相手に伝えないといけない場面ってどうしてもあると思います。
もしも不安を感じたり、どうしよう、という場面が来たら、ちょっと立ち止まって、この自由すぎる読書感想文の話を思い出してみてくだい。きっと、勇気が湧いてくると思います。
それでは今日はここまで!アデュ!