よくある話で、特にメンタル面における、いわゆる依存症の人は、つらくなるとお酒やドラッグ等に走ったりするケースを良く見かけます。
また、依存症以外にも、根底に対人不安を抱えている人は何らかの不安障害を抱えている場合もあります。
皆さん、良くなるために通院などをしますが、通院しても良くならない人もいるものです。
その場合の依存症の人や不安障害の人は、心の奥底では「本当は治りたくない」という想いがあるからなのでしょう。
それでは、なぜ治りたくないのでしょうか?
答えは簡単、他者から気遣ってもらえたり、優しくしてもらえるからです。
もちろん、人は誰しも他者から優しくされたり、大切にされたい生き物ですが、相手に優しくできるのは、自分自身に余裕がなければできません。
自分が具合が悪くて他者からの気遣いが欲しかったり、優しくされたくても、他者に余裕がなければ優しくすることはできません。
治りたくない人は、病気や障害を利用して常に人から気遣われ、優しくされることを期待しています。そして、病気や障害を克服しようとする努力を怠る方向へ向かっていきます。
大人の場面緘黙なども然りです。「場面緘黙」という病を利用して、いつまでも他者がどうにかしてくれる、自分への気遣いを無言で要求してきます。
そして、自分の思い通りに動いてくれないと「何もしてくれない!」と怒り出すのです。
それは、結局のところ主体性がなく、なんでも他者にやってもらうことで、思うようにならないことは他者のせいにしていれば良いので、これほど楽なことはないでしょう。
そして、自分自身に対して無責任になっていることすら気づいていません。
ここまでになると、誰も自分に対して見向きもしない、相手にしてくれないとなって、初めて「なんとか自分の意思を伝えないと」となるわけです。
今は障がい者への合理的配慮義務があちこちで課されているため、障がい者から配慮を要請されれば、業務の支障にならない範囲で配慮をしなければならないのですが、その法律が「配慮されて当たり前である」という誤った方向に行かないように、そしてお互いに誤解を招くことがないような話し合いをする必要があります。
あくまでも、障がい者が自立して生きるための法律であり、決して楽をするためのものではないことを、社会全体が共有すべきことではないかと思う次第です。