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「そんなの綺麗事でしょ」と無責任さにうんざりする

「そんなの綺麗事だよ!」ってうんざりすることありませんか?特に目の前に嫌なことばかり起きるとき大変な状況のときなかなか思うようにいかないときそこから抜け出すための手立てについて情報や考え方、取るべき行動について聞いたり、見たとしてもそれは頭では分かってるけどそんな簡単じゃないんだよと反発したくなることがあると思います。綺麗事を嫌う心理がはたらく理由の一つとして何かしらの「我慢」がつきものになるイメージがありませんか?例えば「こんなことがあってさ、すごく嫌だったんだ」といった話を友達や家族にした時に「そんなの気にしなければいいだけじゃん」とかもしくは「もっといい所を見たらいいんじゃない?」みたいな言い回しをされたら時に本質のようであっても綺麗事のように感じて受け入れ難いでしょうそれは「嫌だった」という感情を飲み込めばいい自分が我慢すればいいということを勧められたような気分になるでしょう。そんな上辺だけを取り繕ったいい人を演じることは根本の解決にならないことをちゃんと分かっている。だからその言葉が無責任に感じるし受け入れたくないでも目の前に嫌なことが起こっていて今の状況、嫌な気分から抜け出したいのは何より大切な自分ですからだからこそ、あなたの納得のいくバランスを見つけ出す必要がありますね。だって人は「納得できたこと」「そうかもしれない」「そっちのほうがいいかもしれない」と思えたことでないと価値観を変えたり行動に移す気すら起こらないでしょう。その嫌な気分から抜け出していくため「これなら納得できる」というアイディアを一緒に探していきましょう。日々のちょっとしたモヤっとでもぜひお聴かせく
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自己責任という無責任な言葉

「自己責任で」ということを最後に言う人を僕は信用しません。 正確にはその人を信用しないというよりも、その説明や紹介を信用しないです。自己責任という言葉「~ということなんですが、失敗したら自己責任でお願いします」 ↑これを言い換えると 「とりあえず私は最低限の説明をしたので、あなたが失敗してもそれはあなたの責任」と言っているようなものです。投資の話しや金銭が絡むことを紹介した際によく出てくる言葉が”自己責任” 投資で損した場合は、基本的に自己責任は当然なので敢えて強調する必要がないんですよね。 そこを敢えて強調するということは、「この情報の真偽はたしかではないかもしれません。なので自己責任で」と言っているようなもの。 分かっていないのに分かっているようなこと言うのも問題。 分からないことは分からないと言ったほうが信用できますよね。 自己責任という言葉をよく使ってしまう場合は、「これは参考程度にしてほしいんですが」と言ったほうがまだ信用できそうです。 言葉尻の細かい話しですが、信用を得るうえで大事なことだと思います。 最近株価の暴落がすごいことになっていますね💦 我ながらなかなかのタイミングでこの記事書いたなと思いますw 参考程度に読んでいただければ嬉しいです↓
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あーあ

皆さんに役に立つかわかりませんが、 積み上げが効かないことほど非効率なことはありません。 いま書いていて、積み上げという言葉をその人からほとんど聞いたことがない人が心に浮かびました。 特許について、電子出願というのがあるのですが、 電子出願用にファイルを作るのが、指南の業です。 サポート窓口に聞いたのですが、実際的にはなかなかできないことを教えてきました。 サポートの人は技術的に知識があるわけではないので、それ以外の方法がないのかと聞いても無駄です。一応、いろいろと試した結果、勘所が分かりました。 いろいろと試すということは、いろいろと失敗して、その原因を推測して、試行錯誤した結果です。 一度、ここまでまとめると、次からの失敗はすることがないと思います。今日はとりあえず問題を解決するために、30分程度かかりました。 しかし、次のことに備え、どうすれば、次回から失敗しないのがを検証して資料にまとめるために3時間くらいかかりました。世の中には、結構場当たり的な対応をする方がいます。 その場しのぎで、その場をうまく対応できる力は、重要ではあります。 しかし、場当たり的にその場を解決するということは、積み上げがないということです。 次に同じ問題にぶつかった場合に、解決するために、同じ時間程度がかかるということです。それで、本人が苦労されるのは構わないですが、そのような方を相手にした方はたまったものではありません。 実際にそのようなことをしている方を相手にしているのですが、本人が、それでヨシとしているのがちょっと信じられない感じです。
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予言の責任は?

『8月○○日に、とんでもないことが起きます!』有名と自負する大人がSNSで、発表されていた。明らかに誰にでもわかる様な変化が起こるとの内容だったと記憶しているが何もなかったと思います。最近、<コロナワクチン陰謀論>を目にする機会増えているように感じます。国民を騙している、国民を・・・。色んな陰謀論がうようよ出てきては消える。考え方は自由で、表現も自由、どんなに危機を煽っても、責任を感じなくても自由です。が、そんな大人にはどんなメリットがあるのか?不思議です。予言めいたことを100,000個言って殆ど、99,999個何もなく1個近い内容があったら、間違いなくクローズアップされる。「私には、人のどんな病気も治す力があります!特別に・・・」子どもが病気で苦しんでいる事例が、減った!奇跡だ!と言うニュースを目にすることはありません。もしや、これもメディアの操作なのか?
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本当は治りたくない?

 よくある話で、特にメンタル面における、いわゆる依存症の人は、つらくなるとお酒やドラッグ等に走ったりするケースを良く見かけます。   また、依存症以外にも、根底に対人不安を抱えている人は何らかの不安障害を抱えている場合もあります。   皆さん、良くなるために通院などをしますが、通院しても良くならない人もいるものです。   その場合の依存症の人や不安障害の人は、心の奥底では「本当は治りたくない」という想いがあるからなのでしょう。   それでは、なぜ治りたくないのでしょうか?   答えは簡単、他者から気遣ってもらえたり、優しくしてもらえるからです。   もちろん、人は誰しも他者から優しくされたり、大切にされたい生き物ですが、相手に優しくできるのは、自分自身に余裕がなければできません。   自分が具合が悪くて他者からの気遣いが欲しかったり、優しくされたくても、他者に余裕がなければ優しくすることはできません。   治りたくない人は、病気や障害を利用して常に人から気遣われ、優しくされることを期待しています。そして、病気や障害を克服しようとする努力を怠る方向へ向かっていきます。   大人の場面緘黙なども然りです。「場面緘黙」という病を利用して、いつまでも他者がどうにかしてくれる、自分への気遣いを無言で要求してきます。   そして、自分の思い通りに動いてくれないと「何もしてくれない!」と怒り出すのです。   それは、結局のところ主体性がなく、なんでも他者にやってもらうことで、思うようにならないことは他者のせいにしていれば良いので、これほど楽なことはないでしょう。   そして、自分自身に対して
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【承認欲求を勝手に満たす】

日常的スピリチュアル、安田です。 承認されることは 誰でも求めるのですが 実際は承認されることは 簡単ではありません。 なぜなら 承認してくれるかどうかは コントロールすることが できないからです。 承認欲求というのは 承認されることだけではなく 承認することも含まれます。 承認されることは コントロールができませんが 承認することは 自分次第なのです。 承認されることを 求めるのではなく 先に承認することを 意識してください。 承認というのは ありのままを認めることであり 何の根拠もないことを 無責任に「あなたならできる」と 承認することです。 宇宙の法則は そのまま返ってくるのが 原則なので 先に承認することで 承認されるのであり 先に否定したら 否定されるのです。 中には承認しなくても 承認される人もいれば 否定をしなくても 否定される人もいます。 納得がいかないのですが 背景的な違いで 承認や否定が 与えられるのです。 どう与えられるのかは コントロールができないのです。 どちらが与えられても 私たちは承認さえ できていればいいのです。 否定からは 何も生み出すことはできません。 否定をされて 復活する人はいないし ヤル気が出たり モチベーションが 上がることはありません。 嘘でも、ハッタリでも 無責任でも 承認をしていくことで 復活させることができ ヤル気やモチベーションを 上げることができるのです。 とくに今の時代の価値観は 「存在」の価値観が強いのです。 否定というのは 存在の否定なので 今の価値観とは 真逆なのです。 承認というのは 存在の承認なので 承認さえで
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言葉って、こわい。でも、だからこそ。

言葉って、こわい。 薬にも、毒にもなる。愛にも、憎しみにも変わる。柔らかなふとんにもなれば、 先の尖った刃物にもなる。 ひとつの言葉に、救われた日もあれば、 たったひと言で、心がずたずたになった日もある。 不思議ですよね。 言葉って、目に見えない。形もない。 なのに、心に大きな跡を残していく。 体の傷は、時間とともに癒えることが多いけれど、 言葉で受けた心の傷は、 忘れたつもりでも、ふとした拍子に疼くことがある。 誰かの声や、投稿の一文や、すれ違いざまの何気ないひと言で。 あのときの傷が、またうずく。 SNSが当たり前になった今、 言葉はより手軽に、より速く、より多くの人へと届くようになった。 けれどその分、発した人の顔が見えないことも多くなった。 無責任に、心ない言葉が飛び交う場面も少なくない。 誰かを攻撃する言葉、 自分の憂さを晴らすような毒のある言葉、 無意識に投げつけてしまったかもしれない冷たい言葉。 「ほんの冗談のつもりだった」 「そんなつもりはなかった」 そう言われたとしても、 受け取った人の心は、もう傷ついてしまっていることもあるのです。 でも、だからこそ。 言葉に、もっと優しさを込めたいなと思うのです。 たとえば、 「ありがとう」と伝えること。 「大丈夫だよ」とそっと寄り添うこと。 「つらかったね」と気持ちに共感すること。 そんな優しい言葉が、 誰かの今日を、ほんの少しでも明るくしてくれるかもしれない。 あなたの言葉が、 「生きててよかった」と思える光になるかもしれない。 言葉って、こわい。 でも、言葉って、すごい。あたたかい。 だからこそ、発する言葉には、責任
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【逃げる】ココナラブログを書けば本当に集客が増えるの?【98日目】

私のブログを見ていただきありがとうございます。 ココナラ電話相談サービスをやっており、このブログを書いている離羽(りわ)と言います。 いつも見ていただいている方やお気に入りに入れていただいている方々、本当にありがとうございます。 今回はココナラブログを書けば本当に集客が増えるのか、そして繋がるのかの98日目です。嫌なことがあった時に、誰かに何かを相談すると「逃げても良いんだよ」と言われる事があるかもしれません。今回はその「逃げる」ことに関して私が思っている事を話していこうと思っています。この「逃げる」というのも私からすると難しい事だと考えているので、少しでも悩んでいる人に届けば良いなと考えているので、読んでいただければ嬉しいです。そして、98日目のサービスとブログの数字ですが、こちらは特に何かをしていうわけではないので、大きな差ではないのですが、しっかりと報告していきます。ブログは記事の内容で大きく数字が上下するので、昨日の記事がどれくらい見ていただけたのか予想してみてください。▼ただ言うのは無責任▼よく何か嫌なことがあったりして誰かに相談すると、とりあえず「嫌なことがあったら逃げて良いんだよ」と言う人がいると思います。もちろん、私もこのブログで嫌な物からは離れた方が良いという話は何度かししているので、「逃げる」ことに関して賛成です。ただ、これは「逃げて良い」と言うだけでは相談を乗る側としては無責任だと思っています。相手の状況は様々ある中で、嫌なことがあったから「逃げれば良い」と安直に言ってはいけないのではないでしょうか。私の中で「逃げる」というのは最終手段と考えていて、相談を
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【インプットの目的を大きくする】

日常的スピリチュアル、安田です。 学ぶ目的 インプットの目的を 大きくすることで 学ぶときに 適度な緊張感を 感じることができるので 必死に学ぶことができます。 自分だけのために 学ぶというのは 限界が来るのです。 なぜなら 目的が小さいので 学ぶ動機が 弱くなるからです。 学びも続けなければ 積み重ねることができないので 力を身につけることはできません。 どんな努力をするにしても 毎日続けていかなければ 積み上げることができないので 力が身につかないのです。 「継続は力なり」という 言葉を知っていても 続けられる人は少ないのです。 続けていくには 習慣の力が必要なのですが 習慣にすることができて 続けることができても 目的が明確になっていないと 惰性的な歩みになってしまうのです。 惰性的な歩みでは より投入する歩みが できなくなるので 「ただ続けているだけ」という 何の発展性もない歩みに なってしまいます。 私たちは 機械やロボットではないので 同じことだけを 繰り返すだけでは 心理的な限界を感じます。 現状的に同じようなことを 繰り返していても 目的が明確になっていれば 惰性的にはならないし マンネリ化はしないのです。 目的があれば 目的に向かって コツコツと 歩み続けることが できるようになります。 現実の歩みというのは 大したことはできないのですが より大きな目的からの 歩みにしていくことで 全てがつながっている感覚を 感じることができます。 学ぶこと自体は 何の生産性もありません。 学んだことを活かすことで 生産的な歩みができるのです。 「何のために学んでいるのか」
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