気づけば、流れていってしまうものばかり見ている
気づけば、動画ばかり見ている。
通勤中、移動中、仕事の合間。YouTubeを開き、オーディブルを流し、気になる情報を「ながら」で取り入れる。便利だし、効率もいい。以前なら本を開かなければ得られなかった知識が、今はボタンひとつで耳や目に入ってくる。
忙しいビジネスパーソンにとって、これほどありがたい環境はないと思う。
けれども同時に、こんな感覚を持ったことはないだろうか。
確かに見たはずなのに、覚えていない。
確かに聞いたはずなのに、自分の中に残っていない。
私は、何かを「得た」はずなのに、何も「残っていない」ような、不思議な空虚さを感じることがある。
私にとって動画は「情報のスープ」だった
出版社で編集の仕事を始めて30年以上になるが、私自身も動画や音声を日常的に利用している。移動中にオーディブルを聞き、YouTubeで新しい知識を得る。
その便利さは疑いようがない。
ただ、あるとき私はふと、こう思った。
これは「情報のスープ」だ、と。
スープはおいしい。温かくて、すっと体に入ってくる。飲みやすく、負担も少ない。忙しいときには、それだけで満足感を得ることもできる。
動画や音声も同じだ。
情報がなめらかに流れ込み、その瞬間の味わいや、のどごしを楽しむことができる。
しかしスープは、飲み終わったあとに「何を食べたか」を強く意識することは少ない。
満足感はあるが、記憶に深く刻まれることは、必ずしも多くない。
それは欠点ではない。
スープにはスープの役割がある。
短時間で栄養を補給し、次の行動へと向かうためのエネルギーを与えてくれる。現代において、動画や音声はまさにその役割を担っているのだと思う。
本は「よく噛んで味わう食事」だった
一方で、本はまったく違う。
本は、すぐには飲み込めない。
ページをめくり、言葉を追い、立ち止まり、考え、また読み進める。理解できない箇所があれば戻り、もう一度読む。
まるで、一口一口をよく噛みしめながら味わう食事のようだ。
私はこれまで、何度も同じ本を読み返してきた。
以前に読んだはずの本なのに、どうしてもまた読みたくなる。
そして読み返すと、前には気づかなかった言葉が、突然、自分の中に入ってくる。
その瞬間、本は単なる情報の集合ではなくなる。
それは「自分の一部」になる。
本を読むという行為は、情報を摂取することではなく、言葉を通じて自分自身と対話することなのだと思う。
編集者として、最も嬉しい瞬間
編集者として仕事をしていて、最も嬉しい瞬間がある。
それは、読者が「またあの本を読み返しました」と言ってくれるときだ。
一度読んで終わりではなく、人生のどこかで立ち止まったときに、その本を思い出し、もう一度開いてくれる。
本は、その人にとっての「拠り所」になる。
お気に入りの本を本棚から取り出し、ページをめくる。そこに書かれている言葉が、今の自分に新しい意味を持って響く。
これは、動画ではなかなか起こらない体験だ。
動画は流れていく。
しかし本は、そこに「留まり続ける」。
そして読むたびに、読者との間に「信用のクレジット」が積み重なっていく。
この本は、自分を裏切らない。
この本は、また何かを与えてくれる。
そう思ってもらえることは、編集者にとって何ものにも代えがたい喜びだ。
本は、人生の節目で戻ることのできる場所になる
本にはさまざまな役割がある。
投資の本は、お金の知識を与えてくれる。
健康の本は、不安を和らげてくれる。
語学の本は、新しい世界への扉を開いてくれる。
それらはすべて価値のあるものだ。
しかし、それ以上に私が本の価値を強く感じるのは、人生の行き詰まりの中で、再び開かれる本の存在だ。
迷ったとき。
立ち止まったとき。
前に進めなくなったとき。
人は、かつて読んだ本に戻る。
そして、その本は以前とは違う言葉を語りかけてくる。
それは本が変わったのではない。
読む人が変わったのだ。
本は、読む人の人生とともに意味を変えながら、長い時間をかけて寄り添い続ける。
まるで、静かにそこに居続ける存在のように。
あなたは、どちらを選びますか?
動画というスープは、現代に欠かせないものだ。
素早く、効率的に、私たちに多くのものを与えてくれる。
しかし、本という「よく噛んで味わう食事」は、もっとゆっくりと、しかし確実に、私たちの内側を変えていく。
どちらが優れているという話ではない。
どちらも必要だ。
けれども、もしあなたが今、何かに迷っているのなら。
もしあなたが今、自分の中に確かなものを残したいと感じているのなら。
あなたは、スープを飲み続けますか。
それとも、よく噛んで味わう食事を選びますか。