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読書習慣を通じて気づいた事

習慣の1つで読書に取り組んでいる習慣にするまでは常に「もっと本を読まないと」という変な焦りがあった。そのクセ読書量は少なかったし読む時期と読まない時期の波も大きかった。そして特に読書量をすごい気にしていた。年間●●冊とか言う言葉を気にしてたし沢山読むのが偉い、スゴイという感覚があった。そこから毎日読書を習慣にして500日以上経過した。疲れてる時は5分だけとか2ページだけって日もある。でもそれでも毎日読むから読書量はかなり増えたし「読まないといけない」と言う変な焦りも無くなった。一番の変化は同じ本でも繰り返し読むようになったこと今までは●冊読むという、数の多さを無意識に気にしていて、同じ本だと数が増えないので避けていたし選択肢にもなかった。毎日読むようになると、もはや冊数や読書量はどうでもよくなって自分に必要な情報かどうか?で読むようになる。今の自分に必要だと思えば何回読んでもいい。そしてそれこそが本当の読書の価値なのかと思う。結局多くの本を読んでも自分に必要な情報を得て自分の血肉にならないと意味がない。何が自分に残っているのか、そして残ったものをいかせているかそれが読書を通じて本来得たいものだと気づいた。今日も読むぞ
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スープとよく噛んで味わう食事──なぜ私は立ち止まって本を開くのか

気づけば、流れていってしまうものばかり見ている 気づけば、動画ばかり見ている。 通勤中、移動中、仕事の合間。YouTubeを開き、オーディブルを流し、気になる情報を「ながら」で取り入れる。便利だし、効率もいい。以前なら本を開かなければ得られなかった知識が、今はボタンひとつで耳や目に入ってくる。 忙しいビジネスパーソンにとって、これほどありがたい環境はないと思う。 けれども同時に、こんな感覚を持ったことはないだろうか。 確かに見たはずなのに、覚えていない。 確かに聞いたはずなのに、自分の中に残っていない。 私は、何かを「得た」はずなのに、何も「残っていない」ような、不思議な空虚さを感じることがある。 私にとって動画は「情報のスープ」だった 出版社で編集の仕事を始めて30年以上になるが、私自身も動画や音声を日常的に利用している。移動中にオーディブルを聞き、YouTubeで新しい知識を得る。 その便利さは疑いようがない。 ただ、あるとき私はふと、こう思った。 これは「情報のスープ」だ、と。 スープはおいしい。温かくて、すっと体に入ってくる。飲みやすく、負担も少ない。忙しいときには、それだけで満足感を得ることもできる。 動画や音声も同じだ。 情報がなめらかに流れ込み、その瞬間の味わいや、のどごしを楽しむことができる。 しかしスープは、飲み終わったあとに「何を食べたか」を強く意識することは少ない。 満足感はあるが、記憶に深く刻まれることは、必ずしも多くない。 それは欠点ではない。 スープにはスープの役割がある。 短時間で栄養を補給し、次の行動へと向かうためのエネルギーを与えてくれる。現代
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