ものすごーく前の、どっかの投稿でな、甥っ子がゲームしながら「どこなら勝てる?」言うた話を書いたことがあるんやけど、今日はその続きみたいな、続きでもないような話や。
先日な、甥っ子と姪っ子の家に行ってきてん。相変わらずや。家入った瞬間から、ゲーム、ゲーム、ゲーム。ワイ?後ろで立っとるだけや。
正直言うと、ワイは子どもの頃、ゲーム買ってもらえん家庭やってな。
友だちの家でファミコン触らせてもらう側やったから、あの電子音聞くと、今でもちょっと胸がキュッとなる。…まあ、どうでもええ話やけど。
でな、その日は甥っ子の友だちも来とって、6人くらいで集まってたんよ。なんか冒険するゲーム。
RPGって言うんか?ワイ詳しくないから、間違っとったらごめんな。甥っ子が操作して、周りの子らが口出し係。ワイはその後ろで、腕組みしながら鑑賞会や。
「なあ、先にレベル上げたほうがよくない?」
「いや、さっさと先行こや」
「ちょっと待って、さっきあれ出たってことは、こっちちゃう?」
「なんでできへんの?」
「うるさいって!」
コントローラー持ったまま、わーわー言うとる。
見とって思ったんはな、「ああ、子どもも大人も変わらんな」ってことや。
会議室とやっとること、あんま変わらん。声が高いか低いかの違いくらいや。
ワイは後ろで、甥っ子の背中見ながら「大きなったなあ」なんて、のほほんとしてたんやけど、しばらく聞いとって、ふと気づいたんよ。あれ、これ、ただのガヤガヤちゃうな、って。
突っ走る子がおる。状況をじっと見とる子がおる。全体を俯瞰して、流れ変えようとする子がおる。一回止めようとする子もおる。
6歳、7歳、8歳やで?
それぞれが、自分なりの考え方で、仮説立てて、確かめて、修正しとる。
言葉は拙いけど、やっとることはちゃんと「考える」や。
親の影響なんか、環境なんか、生まれ持ったもんなんか、そんなの分からん。
けどな、アプローチが全然ちゃう。同じ画面見とるのに、見えとる世界が違う。
ワイはその会話を後ろで聞きながら、なんや知らんけど、ちょっと背筋が伸びた。ああ、これ、大人が忘れがちなやつやな、と。
でな、さらに面白かったんは、誰も「正解」を急いでへんことやった。
大人やったら、負けが続いた瞬間にこうなるやろ。
「最適解は何や?」
「攻略サイト見よか」
「一回答え決めて、それで行こう」って。
けど、あの子らは違う。負けても、死んでも、全然気にしてへん。「あ、ちゃうかったな」「じゃあ次どうする?」それだけや。
一人が突っ込んで失敗したら、「ほら見てみ」って言うやつがおって、「いやでもさ、ここまで分かったやん」って拾うやつがおる。
誰かが暴走したら、誰かが止める。止めすぎたら、今度は別の子が背中押す。
役割が固定されてへんのよ。さっきまで仕切っとった子が、次の瞬間には黙って見とる。さっきまで何も言わんかった子が、急に核心突く。
それ見とってな、ワイ思ったんよ。ああ、大人になるって、こういうのを一個ずつ手放すことなんかもしれんな、って。
大人になると、「自分はこういう役」「自分はこの立場」「ここで間違えたらあかん」そうやって、自分を固めてまう。
会社でもそうや。営業は営業の顔。上司は上司の顔。経営者は経営者の顔。一回被った仮面を、なかなか外されへん。
せやから会議になると、「本当はそう思ってへんけど、言わなあかんこと」「気づいてるけど、立場的に言えへんこと」そんなのが山ほど出てくる。
でもな、目の前でゲームしとる子どもらには、そんなもん一切ない。間違えたら笑われるかもしれん。でも次の瞬間には、もう別の仮説試しとる。
負けた事実より、次の一手のほうが大事。プライドより、面白さのほうが勝っとる。
ワイは後ろで見ながら、「これ、ビジネス書に書いてあるやつやん…」って、ちょっと笑ってもうた。
高い金払って読んだ「仮説思考」だの「アジャイル」だの「試行錯誤を恐れるな」だの、全部、ここで無料実演されとるやないか、と。
しかも、誰もドヤらん。誰もまとめに入らん。ただ、目の前の状況に合わせて、考えて、動いて、また考える。
その様子を見ながら、ワイの中で、前に甥っ子が言うた「どこなら勝てる?」って言葉が、静かにもう一回、浮かんできたんよ。
あれは、勇気ある問いやったんやな、と。
あのときはな、「子どもにしては鋭いなあ」くらいで流してた。
せやけど、今回こうして友だちと一緒にゲームしとる姿を見て、あの一言の重みが、あとからじわっと効いてきた。
「どこなら勝てる?」って、言い換えたら「今のまま突っ込む意味、ある?」「条件、ちゃんと揃っとる?」「一回引いたほうがええんちゃう?」って問いでもある。
これ、大人になるほど言いにくなる言葉や。
会社でも、家庭でも、「もうここまで来たから」「今さら引けへん」「やり切ることが美徳や」そんな空気が強くなる。
せやから、勝てんと分かっとる場所でも、条件が揃ってへんと分かっとっても、とりあえず突っ込む。
努力してる感は出る。忙しそうにも見える。けど、成果はなかなか出えへん。
それを思うと、あの子らは実にあっさりしとる。「ここ、無理やな」「じゃあ別行こ」この切り替えが早い。
執着がない、いうより、「今はここちゃう」って判断を、ちゃんと現実ベースでやっとる感じや。
大人は逆や。「ここで勝ちたい」「ここで認められたい」気持ちが先に立って、現実を見る順番が後ろになる。
恋愛でも、商売でも、この順番ひっくり返ると、だいたいしんどい。相手の気持ちより、自分の都合。市場の反応より、自社の事情。
ワイは後ろでその光景見ながら、「ああ、これが“戦う前に考える”ってことなんやな」と、妙に納得してもうた。
戦略とか、思考法とか、難しい言葉使わんでもええ。要は、今の自分が、どこに立っとって、どこなら一番差がつくか。
それを素直に見とるかどうか、それだけの話なんやと思う。
ゲームの中では、負けたらやり直せる。せやけど、現実はそうはいかん。やり直しは効かんことも多い。
やからこそ、無理に突っ込まん勇気、一回引く判断、場所を変える柔らかさ。
それを、6〜8歳の子どもらが、遊びながら自然にやっとる。
ワイはそこで、なんとも言えん気持ちになった。
ああ、年取るって、知識増えることやないな。選択肢を減らしていくことなんかもしれんな、と。
まあ選択肢を減らす、言うたら聞こえはええけど、実際は「思い込みが増える」ってことなんやろな。
「こうあるべき」「普通はこうする」「大人なんやから」気づいたら、頭の中に見えんルールが増殖しとる。
甥っ子らは違う。今、画面に映っとる状況だけ見て、「勝てん」「いけそう」それを即席で判断しとる。
上手いとか下手とか以前に、“現実を見る精度”が高い。
ワイら大人は、現実よりも、プライドとか、過去の成功体験とか、周りの目とか、そっちを先に見てまう。
せやから、負けとるのに続ける。勝ち筋がないのに踏ん張る。「もう少し頑張れば…」って、希望的観測にすがる。
これな、努力を否定しとるんやない。踏ん張ること自体は尊い。
でもな、“どこで踏ん張るか”を間違えたら、それはただの消耗戦や。
前々回のドラッガーやコトラーの話に戻すと、この二人、実は同じことを別の言葉で言うとるだけやと思う。
ドラッガーは、「そもそも、何のために存在しとるんや?」って問いを投げる。
コトラーは、「ほな、そのために、どこでどう動く?」って地図を描く。
魂と段取り。方向と足場。空を見る話と、地面を見る話。
どっちか片方だけやと、フワフワするか、ズブズブに埋まるか、どっちかになる。
甥っ子らのゲーム見とって思ったんは、この二つを、無意識で行ったり来たりしとる、いうことや。
「ここは無理」って判断は、地面を見る力。「次はここ行こ」って発想は、空を見る力。
それを、大人みたいに言語化せんでも、身体感覚でやっとる。
たぶんやけど、戦略って、本来はこういうもんや。
難しい理論の前に、「今、ここで勝てるんか?」その問いを、ちゃんと自分に投げられるかどうか。
その問いを避け始めた瞬間から、人は、忙しいだけの戦いに入ってまうんやと思う。
さて、このあと、ワイはもう一つ、ちょっと苦笑いする場面を見ることになる。
その苦笑いの正体はな、子どもらの会話が、だんだん“役割分担”みたいになってきた瞬間やった。
一人は、「先にレベル上げよ」言う。
一人は、「いや、ここ怪しいから調べよ」言う。
一人は、「それより、さっき拾ったアイテム使えるんちゃう?」言う。
で、もう一人は、「もうええから進もうや!」言うて急かす。
ワイ、思わず笑うてもうた。これ、そのまんま会社やん、って。
慎重派。分析派。現場派。突撃隊長。
年齢も役職も関係ない。人って、最初から思考のクセが違うんやな。
しかもやな、誰が正しい、誰が間違い、そんな話やない。状況によって、必要な声が変わるだけや。
問題はな、大人の世界やと、このバランスが崩れやすい。
声がでかい人の意見だけ通ったり、立場が上の人の一言で決まったり、「前からこうやってるから」で思考停止したり。
ほんまは、一回立ち止まって、全員の視点をテーブルに並べたほうがええのに。
子どもらは自然にやっとる。「それもあるな」「でも、こうちゃう?」「じゃあ、こうしてみよか」って、試しながら進む。
失敗しても、「ちゃうかったな」で終わり。人格否定も、責任追及もない。
これ、心理的安全性とか、最近よう聞く言葉で説明できるんやろけど、そんな小難しい話ちゃう。
要は、「負けても死なん」って感覚があるかどうかや。
ゲームやから、負けてもやり直せる。せやから、仮説立てて、試して、修正する。
現実のビジネスは、たしかに一発が重い。せやけどな、全部が全部、一撃必殺の勝負ちゃう。
なのに、最初から失敗を恐れて、動かんか、逆に、考えんと突っ込むか。
そのどっちかに偏りがちや。
甥っ子ら見とって、ワイは思った。
ああ、戦略が下手になるんやなくて、“遊び心”が消えるんやな、って。
遊び心がなくなると、仮説が立たん。仮説が立たんと、検証もできん。
結果、「頑張る」しか選択肢がなくなる。この話、もう少しだけ続けさせてな。
そのゲームがひと段落したあと、コントローラー置いて、子どもらは一斉に騒ぎ出したんよ。
「次、なにする?」「外行こか?」「鬼ごっこやろ」
切り替え、はやい。ほんまに、あっさりしとる。
さっきまで必死やったのに、執着ゼロ。勝ったとか負けたとか、もうどうでもええ。
その様子見ながら、ワイはまた一人で考え込んでしもた。
大人って、なんでこんなに切り替え下手なんやろな。
仕事でも、「この企画、あかんかもしれん」って薄々気づいとるのに、情が絡む。プライドが絡む。「ここまでやったし」が絡む。
せやから、引き際を誤る。
ドラッガーが言うとる「成果は外にある」って言葉、この場面で妙に腑に落ちた。
中でどれだけ頑張っても、外で評価されんかったら、それは“自己満足”や。
コトラー風に言うなら、市場が首振らん限り、正解にはならん。
甥っ子らは、誰に教わったわけでもなく、それを体感で知っとる。
画面が答え。敵が強すぎたら、今は違う。
それだけ。
ワイらはどうや。会議室の中で、「これは筋がいい」「いや、可能性はある」「数字は後からついてくる」って、現実より言葉を積み上げてまう。
言葉が増えるほど、撤退しにくくなる。これ、怖い話や。
結局な、戦略って賢さやない。
正直さやと思う。
今の自分は、どの位置におるんか。どこなら、ちゃんと勝負になるんか。
それを、自分に嘘つかんで見れるかどうか。
甥っ子らが教えてくれたのは、特別なノウハウやない。
「勝てん場所で、無理せんでええ」「勝てそうな場所に、素直に行け」
ただそれだけや。
けどな、これが一番むずい。
年取るほど、肩書き増えるほど、背負うもん増えるほど、素直さは置いてきぼりになる。
ワイは、公園に向かって走っていくあの小さな背中見送りながら、ちょっとだけ思った。
ああ、戦略って、ほんまは“大人のための学問”やなくて、子どもが当たり前に持っとる感覚を、思い出す作業なんかもしれんな、と。
追伸。
公園でな、サッカー始まった瞬間、ワイはもう察した。
頭ではな、「いける、まだいける」って思っとる。でも身体がな、「いや無理やで」って即レスしてくる。
一歩目が遅い。切り返しで膝が笑う。息が上がる。
子どもらは容赦ない。「おっちゃん、そっち違う!」「今のパス遅い!」……うるさいわ(笑)。
ベンチに座って、空見上げながら、さっきのゲームのこと思い出してた。
あの子ら、自分の“今のスペック”をちゃんと分かっとる。
走れるやつは走る。判断早いやつは司令塔。身体弱いやつは後ろ。
無理せん。背伸びせん。役割を自然に選ぶ。
大人は逆や。昔できたことにしがみつく。今の自分の足腰より、過去の記憶で勝負しようとする。
せやから、無理が出る。歪みが出る。しんどくなる。
ドラッガーもコトラーも、突き詰めたら、同じこと言うとる気がする。
「ちゃんと現実を見ろ」「ちゃんと場所を選べ」「条件が整うまで、無理に戦うな」
24時間戦え、なんて時代もあった。それで伸びた会社も、人もおったやろ。
でもな、今は違う。
戦わん選択も、立派な戦略や。
休む。引く。学び直す。場所を変える。
それは逃げやない。次に勝つための準備や。
子どもら見とって思う。あいつら、いつ戦うかより、どこで戦うかをちゃんと考えとる。
ほんまは、それで十分なんや。
さて、ここまで読んでくれたあんたに、一つだけ聞きたい。
今、あんたが必死に戦っとる場所、ほんまに“勝てる場所”やろか。
それとも、「引くのが怖いだけ」「変えるのが面倒なだけ」になっとらんやろか。
一回、空見て。一回、足元見て。
その上で、まだ行けそうなら、思い切り踏み込んだらええ。
でも、違うなと思ったら、笑って引いたらええ。
戦略って、カッコつけることやない。自分に正直でいることや。
ワイは今日も、筋肉痛をさすりながら、そのことを思い出しとる。
──歳は取るけどな。考え方は、まだ取り戻せるみたいやから。
追追伸
こんな言い回しがあってな、「頭ではな、イケる!って思っとるんやけど、身体がな、無理や!無理や!言い出したら、それもう中年やで」……ってやつ。
これな、いつぞや読んだ本の受け売りや。誰の本やったかは、正直もう思い出されへん。すんません(笑)せやけどな、今回ばっかりは胸張って言える。
――これ、ホンマやったわ。
頭の中では昔の自分が走っとるのに、現実の足腰は全力でブレーキ踏んどる。ギャップがえげつない。
ああ、こうやって人は、知らんうちに中年の階段を一段ずつ上がっていくんやな、と、妙に納得してもうたわ(苦笑)。
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