昨日な、「神Prompt」の話したやんな。ちょっと「むっ」っとしたんちゃうか笑
ワイのクライアントさんからな、早速連絡あってん。「喧嘩売ってんすか?」やて。
ないない、ワイ他人に興味ねえもん。ただな、ワイはひねくれた人間やさかい、天邪鬼なんよな。
まあ肯定されたら否定に走るっちゅうがワイの甲斐性や。いいたくなるんや。アンチテーゼ。笑
ほな、はじめよか。
最近よく聞く言葉がある。「AIの出力って、なんか平均的だよね」「無難すぎてつまらない」「結局、尖ったことは言わない」
たしかに、そう見える場面は多い。ChatGPTに何かを書かせると、破綻はしないし、失礼でもないし、極端でもない。言い換えれば「当たり障りがない」。
でも、ここで一度だけ、立ち止まって考えてみたい。平均的なものを、平均的に出し続けることって、本当に“しょぼい”んだろうか?
たとえば偏差値の話をしよう。偏差値50というのは、真ん中だ。特別優秀でもないし、目立ちもしない。
でも、これを「毎回」「どの科目でも」「ほぼブレずに」出し続けられる人間が、どれだけいるだろう。
数学は強いけど国語が壊滅的。英語は得意だけど理科が致命的。だいたいの人間は、こうして凸凹を抱えている。平均に“見える”人ほど、実はかなりレアだ。
それなのに、AIが平均的な文章を出すと、人はこう言う。「無難だ」「個性がない」「面白くない」。
ここに、少しだけ違和感がある。人間は、自分が安定して出せないものを、なぜか軽く扱う。
そもそも「平均的」とは何なのか。どの母集団の、どの分布の、どの中央値なのか。年代か、国か、業界か、価値観か。
それを定義しないまま「平均っぽい」と言っている時点で、評価はかなり曖昧だ。
それでも、この言葉は便利だ。理由を説明しなくていい。考えなくていい。なんとなく「分かってる側」に立った気になれる。
だから今回は、AIを擁護したいわけじゃない。性能比較をしたいわけでもない。ここで扱いたいのは、AIが平均を出すことではなく、人間が平均をどう扱っているかの話だ。
もしかすると、この違和感の正体は、AIの限界じゃなく、人間側の“平均アレルギー”なのかもしれない。
「普通でいいんです」この言葉ほど、強そうで、実は中身のない言葉も珍しい。
婚活の場面でよく聞く。「普通の人でいいんです」年収はそこそこ、性格は優しく、見た目も清潔感があって、価値観も合う人。
……と、ここまで言った瞬間に、もう“普通”ではなくなっている。
普通とは何か。母集団はどこか。20代か、40代か。都市部か、地方か。学歴か、職種か、ライフスタイルか。
「普通」という言葉は、条件を一切指定しないまま、条件を全部満たした気になれる、かなり都合のいい表現だ。
AIの出力に対して使われる「平均的」という評価も、構造はよく似ている。
何と比べているのかが曖昧なまま、「なんとなく真ん中っぽい」という感覚だけで切り捨てている。
ここで少し意地悪なことを言うと、人は「定義できないもの」を批判するとき、実は批判しているようで、思考を放棄しているだけのことが多い。
評価語というのは、本来とても重たい。「良い」「悪い」「平均的」「微妙」。
本当は、その一語の裏に、基準、比較対象、優先順位、文脈が全部セットで付いてくるはずだ。
でも、それを全部言語化するのは面倒くさい。だから人は、評価語だけを投げる。AIに対しても、人に対しても。
「AIっぽい文章だよね」という言葉もそうだ。じゃあAIっぽさとは何か。語尾か、構成か、丁寧さか、リスク回避か。
そこを掘り下げない限り、その評価はただの感想でしかない。
面白いのは、「平均的」という言葉を多用する人ほど、自分が何を基準に生きているかを説明できないことが多い点だ。
基準を持つというのは、責任を持つということでもある。「私はここを重視している」「これは切り捨てる」そう決めると、ズレたときに自分が傷つく。
だから人は、無意識に基準を曖昧にする。平均的、普通、無難。どれも、自分を守るための言葉だ。
ここまで来ると、「平均的なAI」という批判は、AIの性質を語っているようで、実は人間側の評価耐性の低さを映しているだけにも見えてくる。
次は視点を少し変える。AIがやっている「平均っぽさ」の正体を、別の名前で呼び直してみよう。
キーワードは、定石や。
ほないくで。
囲碁や将棋の世界で「定石」って言葉があるやろ。あれはな、無難な手でも、保守的な手でもない。
過去に積み上げられた膨大な対局の中で、「この局面では勝率が一番高い」という合意点みたいなもんや。
定石を知ってる人間は、全員同じ打ち方をするんかいうたら、全然ちゃう。
むしろ逆で、定石を知ってるからこそ、「ここはあえて外そう」「相手の癖を見て、ちょっとズラそう」って判断ができる。
AIがやってる「平均的な出力」って、実はこれに近い。無難やからそう言ってるんやなくて、確率的に最も事故らず、最も通りやすい地点を、毎回ちゃんと踏みに行ってる。
これ、人間に置き換えたら相当すごいで。毎回テストで平均点取れます、毎回会議で空気壊しません、毎回初対面で嫌われません。
これを一生やれ言われたら、普通はどこかで崩れる。
人間は感情があるし、体調もあるし、気分もある。昨日は冴えてたけど今日はアカン、今日は強気やけど明日は弱気。それが人間らしさでもあるんやけどな。
でもAIはちゃう。疲れへんし、機嫌も変わらん。毎回「まあまあ良い」を外さへん。
それを捕まえて「平均的やなあ」って言うのは、プロ棋士に向かって「その手、教科書通りですね」って言うてるのと似てる。
せやから本質は、AIが平均を出すこと自体やない。その平均を、どう扱うかや。
定石をそのまま打つのか。あえて外すのか。外すにしても、どこを外すのか。安全側か、リスク側か。攻めるのか、守るのか。
ここで初めて、人間の仕事が始まる。
AIをそのままAIとして使う、いうのは、定石を知らんまま、感覚だけで石を置くのと一緒や。そら負ける。
逆に言えば、AIが出す平均を「つまらん」と感じるなら、それはもう、自分がどこをズラしたいのか決まってない、というだけの話でもある。
次はもう一段踏み込むで。「じゃあ、その平均って、ほんまに測れてるんか?」評価の話や。
ここまでで分かってきたと思うけど、「平均的」「AIっぽい」「無難」いう評価って、ほとんどの場合、測ってへん。
測ってへんのに、点数つけとる。
これ、よう考えたら変な話や。スポーツやったらタイムがある。テストやったら点数がある。営業やったら売上がある。
せやのに、AIの出力評価になると、急に「なんとなく」「体感的に」「前より良くなった気がする」になる。
ほんまに研究としてやるんやったら、話は全然ちゃう。BLEUやROUGEみたいな自動評価指標を決めて、語彙の多様性、一貫性、情報量を数値で見る。
説得力みたいな曖昧なもんは、人間評価を入れて、しかも個人の感想で終わらせずに、統計処理する。
条件も揃えなアカン。同じテーマ、同じ制約、同じ文字数。素のGPTと、強化版を何百回も走らせる。ジャンルも分ける。セールスコピー、議論、FAQ、説明文。全部ごちゃ混ぜにしたら、何も分からん。
そこまでやって初めて、「平均で○点上がりました」「有意差があります」って言える。
せやけどな、世の中で言われとる「神Promptで激変!」みたいな話は、そこまで誰もやってへん。せいぜい数回試して、「おお、なんか良くなった気がする」で終わりや。
これを責める気はあらへん。商売としては、正しい。人は数字より、物語に動かされる。「神」って言葉は分かりやすいし、夢がある。努力せんでも近道できそうな匂いがする。
せやから売れる。それはそれで、よう出来た仕組みや。
ただな、ここで一回立ち止まった方がええ。神Promptが悪いんやない。問題は、平均を出す力そのものを、軽く見すぎてることや。
毎回、確率的に一番通りやすい場所に着地させる。これ、人間にはほぼ無理や。ハルシネーションの問題は確かにある。
けど、それを差し引いても、常時「まあまあ」を出し続ける能力は、十分すぎるほど異常や。
ここまでの話を一回まとめると、AIが平均を出す、無難なことを言う、AIっぽい。その全部、半分は当たってて、半分はズレてる。
AIは確かに、確率的に一番通りやすい答えを出してくる。でもそれは、逃げてるわけでも、サボってるわけでもない。むしろ、めちゃくちゃ真面目に仕事しとる。
問題はそこやない。問題は、人間側が何をさせたいか決めてへんことや。
定石を出してくるAIに対して、「つまらん」「尖ってない」って言うのは簡単や。
でもそれは、「この局面では勝ちに行きたい」「ここは安全にまとめたい」「今回は相手を揺さぶりたい」そういう意図を与えてへんのと一緒や。
囲碁でも将棋でも、定石しか知らん人間は弱い。せやけど、定石を知らん人間は、もっと弱い。
AIも同じや。平均を出せる力を土台にして、どこをズラすか、どこでリスクを取るか、どの制約を外すか。それを決めるのが、人間の仕事や。
だから本質的には、神Promptがあるかないか、やない。「問いを設計できるかどうか」これに尽きる。
どういう母集団で平均を取らせるのか。何を成功と定義するのか。どの評価軸を優先するのか。それを言葉にできるかどうか。
平均をバカにする人は、だいたい平均を作ったことがない。定石を軽んじる人は、定石を理解したことがない。
AIが平均を出せるというのは、人類の知の圧縮が、一つの形になった、ということでもある。
それをそのまま使うのもええ。でも、そこから一歩ズラす余地があると気づいた瞬間、AIは「答えを出す機械」から、「思考を拡張する道具」に変わる。
神Promptが欲しくなる気持ちは、よう分かる。でもな、ほんまに欲しいのは、神みたいな言葉やなくて、問いを立て続ける力なんやと思うで。
平均を出せるAIと、問いを投げる人間。この二つが噛み合ったとき、ようやく、ちょっと面白い世界が始まる。
――まあ、そんな話や。
追伸な。たぶんやけど、優しい人はここで話を畳むんやと思う。
でも今日はな、気分的にちょっと喧嘩売るわ。
ワイは今回、「定石(じょうせき)」いう言葉を使って、「平均的」という評価を言い換えた。AIがやっとるんはサボりやない。徹底的な最適化や。
それを「つまらん」で切り捨てるのは、戦略を持たへん人間の甘えや、という話やった。
この論の流れ自体は、ちゃんとアンチテーゼになっとるやろ。
つまりやな、定石まではAIが連れて行ってくれる。そこから先の崖を跳ぶかどうかは、人間の意志や。そういうメッセージや。
AIは基本、「怒られへんように」「外さんように」計算する。せやけど、ユーザー側から「この定石を壊してくれ」いう明確な意志――たとえば強い制約や、あえて矛盾させた問い――を投げたら、AIは喜んで平均のその先にダイブする。
ところがや。世の中のプロンプト見てると、だいたい「いい感じに」これや。
これ、実質「普通という名の全乗せ」やからな。条件全部盛り。優先順位ゼロ。
そらAIも、「一番事故らん中央値」踏みに行くしかあらへんやろ。
で、「なんかイマイチなんですけど?」……甘えんな。
ちなみに言うとくで。「分かりやすく」「でも専門的で」「心に響くように」。これ普通に平均値踏みに行く呪文やからな。悪いとは言わんが、使いどころ考えなアカン。
でや。前回の「問いの習慣」を読んで、「じゃあどうすればええねん!」って逆ギレした読者――いや、クライアントさんやな(笑)
――を、さらに一段高い視点からボコ…失礼、啓蒙する構成やったやろ?
クライアントさん、安心せえ。ちゃんと、とっておき用意しとる。もう仕込みは終わっとるからな(笑)
ただな、ここまで喧嘩売っといてなんやけど、今回の文章、危ういとこもある。
思想としてはOK。でも読み物としては、刃が立ちすぎとる。
特に「知性が低い」いう断定。ここは論をほんの少しだけ弱めとる。
読む側にはな、「考えたい気持ちはある」「でも言語化や構造化が追いついてへん」そういう層もおる。
その人らまでまとめて「知性が低い側」に押し込むと、理解より先に防御反応が立つ。
「知性が低い」やなくて、「問いを立ててへん状態」「構造を扱ってへん状態」って言い換えたら、殴りながらも連れて行ける文章になる。
……せやけどな。あえて、それをせんかった。
理由は単純や。フィルターや。選別。
ここでムッとして離脱するレベルの人は、これから出すプロダクト、まず使いこなせへん。
ほな、商売の話いくで。
12月末までREV公開しとったな。REVはまだ出せへん。改修中や。
ただな、さっき言うた「クライアントさんに渡すやつ」。あれをな、パフォーマンス落としたバージョンやけど、REV追加込みでGPTsに乗せよう思とる。
詳細はまだ言わへん。けど、前回と今回の本質をちゃんと理解できとる人なら、ワイが何やりたいかは察しつくやろ。
逆に言うと、「要約して〜」「いい感じで〜」このレベルの使い方やと、ほぼ確実にクレーム来る未来しか見えへん。
せやから、切らせてもらう。
残るんは、分かるヤツだけでええ。
ほな、今日はこのへんで。
あ、最後に一個だけ。クライアントさんにもおるんや。「いい感じで。あなたに任せるよ。」
……その指示、一番事故る確率高いねん。AIも同じやと思うで。苦笑
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この言葉が、誰かの思考のきっかけや、小さな視点の転換になれば嬉しいです。